[イスラエル]で思ったことまとめ [Israel] Random thoughts.

イスラエルについて、思ったことをまとめておきます。

・国旗が多い

街中で国旗を見ることが多かったです。あくまで個人的な印象ですが。日本だと日本国旗を掲げるのはあまりないことなので、少し違和感がありました。撮った写真の中にもいくつか国旗が写っていたので載せます。

イスラエルの国旗

 

テルアビブの旧市街近く
テルアビブのホステルの屋上テラス
エルサレムの街
エルサレムの中央バスターミナル
これは国旗じゃないけど。歩道と道路の間の色が国旗と同じ青と白。

 

・兵士、警察、警備員が多い

特にエルサレムの街に多かったのですが、イスラエル軍の兵士、警察なのか単に警備員なのか見分けがつきませんが、ライフル銃を抱えた人が街じゅうにいます。あと、印象的なのは、女性兵士が多いこと。イスラエルでは、男女とも高校を卒業する18歳から19歳で兵役が義務付けられています。男性は3年間、女性は2年間。まだごく若い若者がライフルを抱えて立っています。ウィキペディアによると、厳密には全国民に義務があるわけではなく、イスラエル在住のユダヤ人とイスラム教ドゥルーズ派だけだそうです。ドゥルーズ派はおそらく、エルサレムの旧市街等に住むイスラムの人達がそうなのかも知れません。

・エルサレムとテルアビブでは雰囲気が違う

エルサレムは、いわゆる宗教色が強いです。そりゃそうですよね。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教全てにとって重要な地域ですもんね。

ユダヤ教の人達は特徴的な格好をしているのですぐに分かるのですが、私の印象では、7割、少なくとも半数以上はユダヤ教徒の気がします。なぜなら男性はキッパと言われる丸い小さな帽子を付けているからすぐに分かります。女性は、髪を隠すためにスカーフを巻いていますが、なかにはカツラをかぶっている人もいます。地毛なのかあまり気が付かない人もいますが、あきらかにカツラと分かる人もいます。カツラを被るくらいなら地毛でもいいんじゃないかと思ってしまうのは私だけでしょうか。

一方テルアビブでは、そういう人はあまり、ほとんどと言ってもいいくらい見かけませんでした。テルアビブは街を歩く人達の服装もヨーロッパの都会と殆ど変わりません。やはり敬虔なユダヤ教の人達は、聖地に近いエルサレムに住んでいるのかも知れません。

・アラブ人が優しい

残念ながら、地元ユダヤ系イスラエル人との接触は少なかったので、特に印象は書けないのですが、印象的だったのは、アラブ系の人達が優しかったことです。タクシーの運転手やお店の人、皆フレンドリーで話しかけてくれました。ヨルダンでも親切にしてもらいましたが、気さくなのはアラブ人の気質なのかも知れませんね。

 

前から興味があったけど、まるでパズルだったイスラエル。行けば理解出来るはず、と思っていましたが、結果はその逆でした。ますます頭の中は混乱しています。正直誰が悪いとか、何が正義とか、分からない。宗教って何なの。政治って何なの。結局お金?もう全然分かりません。。。

 

[イスラエル]首都テルアビブ [Israel] The capital Tel Aviv.

シャローム(ヘブライ語でこんにちはの意味)。

首都のテルアビブにやってきました。エルサレムからはバスで行きました。

エルサレムの中央バスステーション

ショッピングモールの様な建物の中にあります。入口でセキュリティチェックのゲートを通り、エスカレーターで、(確か)チケット売り場がある2階に上がります。

テルアビブ行きは405番と480番です。料金16,20シェケル(約490円)

テルアビブまで16,20シェケル(約490円)

プラットフォームに行くと、プラットフォーム毎にこの様なドアがあり、外に出られるようになっています。実はこれ外側から撮った写真ですが、バスに乗ろうと外に出たのはいいのですが、私のバスはまだ来ておらず、念のため隣に来たバスに聞いたのですが”No!”と冷たく言われ、しかたなく中に戻ろうとしたのですが、なんとドアが開かない! どうも、バスの乗車時間の間のみ開く仕組みになっている様で、私が入った時は、たまたま一個前のバスからまだ間もなかった為に開いていた様ですが、その後すぐに閉まってしまった様なのです。中に戻れない。。

1時間でテルアビブに着きました。早!そりゃそうだよね。イスラエルの面積は、日本の四国と同じ位なんだそうです。

今回泊まったAbraham Hostel Tel Avivは、人気のホステルで、今まで泊ったなかでは規模的には一番大きいホステルでした。部屋自体はいたってシンプルですが、キッチンも清潔に保たれており、料理をしている人も多かったです。朝食も充実していて、ラッキーだったのは、昼過ぎにいると、無料でランチも提供していました。たまにあるらしい。

このビル全体がホステルになっています。
食堂にはバーもあり、広々としたキッチンもあります。
エルサレムと違って、ユダヤ教の男性のキッパ(小さい帽子?)姿や、女性のスカーフをした人はあまり見かけませんでした。
よく見かけたのがこれ、電動キックバイク。私も欲しい!

電動キックバイクに乗っている人をよく見かけました。スーツ姿のビジネスウーマンだったり、学生風だったり。私も欲しくなりました。あと、自転車にもよく乗っていますが、テルアビブで見た自転車は、ほとんどが電動自転車でした。

そのまま海に向かって歩きます。この日の目的はビーチ。テルアビブは地中海に面していて、街中から歩いてビーチに行けるのです。ヨーロッパから週末などに来てナイトライフを楽しむ人も多いそうです。

なんかハワイみたい?(行ったことないので勝手なイメージです。笑)

おじさんが猫たちにエサをあげていました。ベンチに座り、しばらく猫を観察。一列にエサを配置した後、おじさんは、前かごに猫を絵が付いた素敵な自転車に乗って去って行きました。写真撮らせてもらえばよかった。

カラスもやってきて、おこぼれにあずかっています。

エサを食べ終えると、猫たちは皆フェンスの向こうに帰っていきました。

 

カメラを抱えた人達が空を見上げています。

何をしているのか聞くと、イスラエル軍の航空ショーの練習があるから見に来たとのこと。私もしばらく待っていると、やってきました。4機の飛行機が、大空をアクロバット飛行していきます。航空ショーを見るのは初めてだったのですが、すごかったです。4機一緒に急旋回したかと思うと、今度は地上近くまで急降下。そして瞬時にまた再上昇します。

明日はイスラエルの独立記念日だそうです。そこで航空ショーも披露されるそうです。

ツナミってやっぱり世界共通語なんですね。

海~!

日光浴している人達がいました。

でも結局海には入りませんでした。だって水が冷たくて入れたもんじゃないのです。よく見ると、日光浴をしている人はたくさんいるけど、海に入っている人はわずか。やっぱり冷たいよねー。私だけじゃないよね。

とうことで今日のミッション終わり。

夜、ホステルでは、戦没者追悼記念日と明日の独立記念日にちなんで、元軍人の男性の若者2人を招待し、彼等の軍軍人生活について語ってもらう、というのをやっていました。私も興味深々で参加。彼等は現在25歳と28歳、二人とも高校卒業後に入隊、3年間トレーニングをして過ごしたそうです。18歳という若さで家を離れ、家族も友人もいない中、上司や仲間が唯一頼れる家族の様なものになる。あの時は自分が何をしているのか分かっておらず、ただ任務をこなすのだけ、法に則ってやるだけ、だったが、今になって思うこともある、と言っていました。一番印象的だったのは、誰かが「今の知識を持った自分自身でもまた軍に入りますか。」と質問した時、二人ともYesと答えていたことです。一人は少躊躇している様にも見えましたが、結果Yesと答えていました。

二人とも政府の方針にはいくらか疑問を持ちながらも、結局は使命があれば参加すると言っているのです。「愛国心」がこういう形で育てられること、育つことに怖さを感じずにはいられませんでした。

 

ちなみに、いきなりですがイスラエルの物価は高いです。今日果物屋さんで買った、りんご2個+みかん3個で41シェケル(約1230円)。これ以降果物は買ってません。ホステルは、ドミトリーで一泊83シェケル(約2600円)。私が大好きな朝食の定番シャクシューカは、36シェケル(約1080円)。カプチーノは15シェケル(約450円)。

まあ、高いといっても日本と同じ位かも知れませんが、バックパッカーにとっては、恐る恐る注文する感じです。

朝食の定番シャクシューカ

でもこのシャクシューカ。トマトベースにバジル、決めての半熟の目玉焼きが入っているシンプルなものなのですが、激ウマです。中東では他の国にもあるそうなので、おススメです。

 

追記:4月19日はイスラエルの独立記念日でした。朝11時、私は通りを歩いていたのですが、サイレンが鳴り響き、走っていた車は道路の真ん中で止まり、歩道の人々は立ち止まり黙とうをしていました。独立記念日で黙とう?と思いますが、前日の4月18日は戦没者追悼記念日。当日に続き、翌日にも黙とうをするそうです。

独立記念日19日の夜、ホステルの人々は皆パーティに繰り出すと言っていました。私は別の誘いがあったのですが、それも行き違いがあり、結局どこにも出かけませんでした。まだパレスチナのことが頭の中にありパーティ気分になれなかったので、正直ちょっとホッとしました。もちろん記念日を祝うことを非難しているわけではありません。というか、私には、非難するとか意見するとかに至るだけの知識はないです。ただ、色々知るうちに、複雑な気分を抱えてしまっただけです。

はあ、ほんと複雑。。

[ベツレヘム]世界一眺めの悪いホテル![Bethlehem]The world worst view hotel

サラーム(アラビア語でこんにちは。)イスラエルは主にヘブライ語ですが、ベツレヘムはパレスチナ人が住んでいる所なので、ここはアラビア語で。

今回ベツレヘムに来たもうひとつの理由。それは、The Walled Off Hotelウォールドオフホテルに泊まる為です!ここに泊まる為に来たと言っても過言ではありません。

ここは、覆面アーティストのバンクシーが去年オープンさせたホテルで、超ユニークなんです!世界一眺めの悪いホテルと銘打っているのですが、その訳は、、、

ホテルの目の前が、悪名高きあの分離壁だからです。

ウェルカムドリンク

面白かったのがこれ。ロビーから部屋に続く階段へはここから入ります。

ん?本棚?
鍵を棚にあるヴィーナスに向けると、おっぱいがピカー!
開いたー!
ドミトリールーム60ドル(約6600円)

私が泊ったのは6人部屋のドミトリールーム。イスラエル軍宿舎からの古いアイテムが所々にあります。ちなみに、プライベートルームは室内にバンクシーの絵があります。泊まりたかったけど予算が。。詳細はホテルのサイトで見られます。サイトを見てるだけでもワクワクしてきます。

このレトロなラジオと電話機、ちゃんと使えます。

ラジオからは音楽が流れていました。実はこの日、ドミトリーには私以外に誰もおらず、独り占めイェーイ!となったのですが、正直寂しかったです。そして静かな部屋にラジオから流れるBGMが。ちょっと怖い。。なので、部屋にいる時は逆にボリュームを上げて、眠る時はオフにして眠りました。

館内はバンクシー独特のアートで一杯です。

ロビーにあるピアノの上には、ガスマスクをした天使。

ある時間になると、このピアノ自動演奏されるのですが、この音楽がまたいいんです。奥深いというか。ホテルオリジナルだそうです。

使用不可と書かれたエレベーター。扉の向こうに見えるブロッグ塀は、分離壁なのだろうか。

ホテルには、小さな博物館が併設されています。パレスチナの、現在に至る歴史や状況が分かります。宿泊者は入場無料ですが、宿泊者以外でも有料で入れるので、ベツレヘムに行く方にはぜひ行ってみて欲しいです。

ここからは博物館内で撮った写真です。

1992年から始まった、イスラエル政府による壁の建設
車のナンバープレートで、イスラエル人かパレスチナ人かすぐに見分けがつく様になっています。
イスラエル政府によって、パレスチナ人が通行できる道路も決められています。
通行許可証。

パレスチナ人が壁の外に出る際は、事前申請が必要です。許可が下りず病院に行けない、ということも起こっているそうです。

なかでもハッとさせられたのが、この写真に書かれていたことです。

これはパレスチナ自治区のヘブロンという街の写真ですが、ここにもユダヤ人の入植を促すため、新しいアパートの建設が進められており、外国に住んでいるユダヤ人でもサマーハウスとして借りられる様になっており、若いユダヤ人でも借りやすい様に安い価格設定にしているそうです。上の写真の最後の行には、”あなたが今泊まっているエアビーエンドビー(民泊)はまさにその家の一つかも知れません”と書かれています。ハッとさせられました。私も旅行者。知らずにそういう物件に泊まって、この施策に加担することはしたくありません。

他にも、色々な展示、写真やビデオ等沢山ありました。ビデオの中で、パレスチナの人々が壁を超えて自分たちの家があった向こう側に入ろうとするのを、ライフルを抱えたイスラエル軍兵士が制止し、時には暴力的になるシーンがありました。その時、どうしても沖縄の辺野古のことを思い、苦しくなり涙が出そうになりました。自分達の家(土地)に入れない理不尽さ。イスラエルはベツレヘムを実行支配していて、自分達の土地だと主張しています。自分の土地なら、パレスチナ人が住む土地も同じように扱ってよ、と単純かも知れませんが、思います。でも実際のところは、水道電気など十分に供給せず、携帯電波も悪く、道路状況も悪い。そして、パレスチナの人々から見える所に新居住地を作り、次々とユダヤ人を住まわせることで既成事実を作り、実行支配を広げようとしています。

辺野古とはもちろん背景や状況は違うと思いますが、政府が住民を振り回している状況は同じだと思いました。

そーこーでー!というわけではありませんが、私も壁に絵を描いてきました!

ホテルのすぐ隣にあるバンクシーショップ。その名もウォールマート(笑)。そこで絵を描くお手伝いをしてくれます。

んー、絵といっても、何にしよう。。バンクシーみたいに風刺が効いたものにしたい!と思いましたが、すぐに、そもそも自分には絵のセンスが備わっていないことを思い出し断念。ここはシンプルに、平和を願うといえば鶴。でも紙の折り鶴を壁に貼るわけにはいかないので、やっぱりステンシルにしました。バンクシーみたいに!笑。

店内にはカラースプレー、マスクなどがあります。

①まず、パソコンで鶴の画像を検索。お店のお兄さんがステンシルにできそうな絵を選んでくれました。

②プロジェクターで映し出した画像を鉛筆でなぞり、下書きします。

③下書きに沿って切り取っていきます。お兄さんも手伝ってくれます。

下絵完成。

④スプレーとテープを持って店を出て、壁の場所探し。しばらく歩きますが、どこも結構埋まっていて、空いてる所がありません。しかも上の方には手が届かない。(ちなみに、上の方に描きたい方には梯子も借してくれます。)

⑤場所を見つけたら、下絵をテープで張り付け、スプレーでシュー。紙が浮いてくるので、均等にスプレーするのが結構難しい。

⑥完成〜!! ”Love from OKinawa” ちょっと滲んでるけど、まいっか。

全体像です。ん、どこ。。。? えー、右下の方です。

ちっちゃ!笑。でもいいんです!

願いはひとつ。この壁が壊されて平穏が訪れますように。ベツレヘムに行くことがあれば、ぜひ探してみてください。笑。

エルサレムまでの帰りは、チェックポイント300(Check point three hundred)と呼ばれる、倉庫の様な無機質な建物を通ります。私以外にもう一人いただけで、職員も二人しか見ませんでした。そこでパスポートのチェックがあるのですが、簡単に見ただけで特に何も質問はされませんでした。建物を抜けるとすぐにバス停があり、そこでエルサレム行きのバスに乗りました。

[ベツレヘム]行ってみたけどやっぱり複雑。。 [Bethlehem] Confusing..

ベツレヘムで1泊してきました。

イスラエル、エルサレム、ベツレヘム、パレスチナ自治区。何度ニュース等で見てもずっとパズルな所(国)です。地理的にも、宗教的にも、政治的にもよく分からない。。ベツレヘムに関しては、イエス・キリストが生まれた場所、くらいの知識です。一見は百聞にしかず。とりあえず行けば分かるはず。と長い間行きたかった国のひとつでした。

最近では、トランプ大統領が、テルアビブにある大使館をエルサレムに移転させる、という発言をして物議を醸していますね。

ベツレヘムは、パレスチナ自治区の中にあります。ヨルダン川に接しているのでヨルダン川西岸という言い方もされます。英語でウェストバンク。こないだの入国審査の際にウェストバンクには行くのか、と聞かれた場所でもあります。もちろんNoと答えましたが。世界一厳しい入国審査で知られるイスラエル。ベツレヘムを含むウェストバンクに行くということは、パレスチナ自治区に行くということなので、絶対に言ってはいけないと、事前調べで知っていました。でも結局大変な目にあうことになったのですが。。

あ、恨み節になりそうなので、その話は置いておきます。

位置関係が良く分からなかったので、整理してみました。

ベツレヘムは、点線で囲まれた中にあります。点線は分離壁を示しています。昔のベルリンの壁の様に、高さ8メートルの壁で包囲されていて、パレスチナ人はこの壁の中に住んでいるのです。考えるとすごく変です。人間が人間を囲っているのです。

エルサレムからは、バスで40分で行けます。日帰りでも行けますが、私はベツレヘムに行くなら絶対泊まりたい!と思っていたホテル (Walled Off Hotel)があったので、1泊しました。なんならこのホテルに泊まる為にベツレヘムに来たと言っても過言ではありません。詳しくは次のブログで。

バスステーションはホステルから徒歩20分、ダマスカス門の近くにあります。

エルサレムのバスステーション

Beit Jalaを経由します。

バスは231番や234番で行けます。6,8シェケル(約200円)。

ベツレヘムに到着しました。特にチェックポイントやパスポートのチェック等もなく、普通のバス停で降りました。

バスを降りるとすぐにタクシーの運転手達が声を掛けてきます。1泊だけの予定なので、効率よく周る為にタクシーを利用することは決めていましたが、すぐ応じてナメられてはいけないと思い、2,3度断りながら足を進めます。と言ってもあくまで”フリ”なので、特にどこに向かって歩いているわけではありません。苦笑。

交渉の結果、バンクシーの壁画、Shepherds’ Field Chapel 、キリストの降誕教会、ミルク・グロット、パレスチナ難民キャンプを周り、110シェケル(約3300円)で交渉成立。前調べ情報より少し高いとも思いましたが、他に割り勘する人もいないし、しょうがないと納得。

まずは、バンクシーの壁画を何か所か回ります。バンクシー(Banksy)とは、壁画アーティスト。何の前触れもなくゲリラ的に現れて人目に触れず描くので、覆面芸術家とも言われています。イギリス人男性ということだけ分かっている様ですが、その以上のことは謎に包まれたままです。

こういう何気ない所に描かれています。

この絵は有名ですよね。どこかで見た記憶があります。

これも何の変哲もないガソリンスタンドの壁に描かれています。

次に、Chapel of the Shepherd’s Fieldというカトリック教会に行きました。天使がイエスの誕生を知らせた場所だそうです。

なるほど、天使達が描かれています。

この教会から見えた光景。向こうに見える団地やマンションの様な建物は、ユダヤ人入植者用の住宅だそうです。イスラエル政府の政策で、国外に住んでいるユダヤ人の移住を誘致している場所です。ユダヤ人人口を増やそうという狙いがある様です。

次に、ここはイエスが誕生したとされる降誕教会です。

小さい頃本で読んだのを覚えています。イエスはベツレヘムの馬小屋で生まれたと。今まさに自分がその地に来ているんだと思うと、なんだか不思議な気持ちでした。

その本は、今思えば子供用に書かれた新約聖書だったのですが、ということは、またしても、”イエスって実在していたってこと?”という疑問が湧きます。物語として読んでいたので、いまいちピンと来ません。でもなぜそういう本が家にあったのか。。うちはクリスチャンでもないのですが、母(あるいは父?)が何か意図して置いていたのか。。今度聞いてみようと思います。

(後日談)母に聞くと、「そんな本あったっけ?」というがっかりな答えでした。

小さな入口から、かがんで入ります。

奥に見える入口がまさに誕生した場所(洞窟?)だそうです。

長蛇の列ができていて一行に進みません。ので、諦めてタクシーに戻りました。

私の記憶では、イエスって馬小屋で生まれたと思っていたけど、洞窟だったという解釈もあるそうです。

次は、ミルク・グロット教会。こじんまりとした小さな教会です。

ここは、聖家族(イエスの家族)がエジプトへ逃げる前に避難していたとされる場所で、マリア像から一滴の乳が洞窟の穴に落ちてそこが白く染まった、という言い伝えからきているそうです。不妊に悩む夫婦も多く訪れるそうです。

教会の中には、イエスに授乳するマリア像や絵がいくつもありました。

最後に、分離壁へやってきました。今私がいるここは壁の中、パレスチナの人々が住んでいる所で、壁の向こう側にはユダヤ人が住んでいます。高さ8メートルの壁には様々な絵やメッセージが書かれています。

有刺鉄線で遊んでいる子供。

”壁を作らず、フムスを作れ”

写っている男性は、この近くでバンクシー関連のグッズ屋さんを経営していて、この絵は自分が描いたんだ、と言っていました。

壁の所々にはこのような監視塔があります。

”一片のがれき(PIECE)ではなく、平和(PEACE)を”

”パレスチナに行ってみたけど、あったのはこのバカげたステンシル(の絵)だけ”

戦闘機で遊ぶねこ

この女性は、ライラ・カリド。パレスチナ解放運動家で、元ハイジャックのテロリストですが、釈放後は暴力的解決を否定し、現在は講演活動をしているそうです。

沢山のエピソードとメッセージがあり、どれも胸を締め付けられる思いで見ていました。なかでも、上写真の「アリ」と題された言葉には苦しくなりました。

(訳)アリになれたらいいのに。アリは働き者です。自分で食べ物を探して、仲間の面倒をみます。アリは一生懸命働くことを良しとし、お互いを尊重します。アリは強い意志を持って生きています。アリの様に強く、働き者で、人々を助ける人になりたいです。 ベツレヘム出身、ウサマ。

ベツレヘムに入ってから、携帯の受信状況が格段に悪くなりました。ホテルでは、シャワー水の節水をお願いされました。まるでヨーロッパという感じのエルサレムの街とは違い、古く寂れた建物が多く、シーズン的なものなのか、閉まっているお店も目につきます。走っている車は古い車が多いです。

後で調べたり聞いたりして分かったことは、古い水道管は長い間取り換えもされず、また、先の写真にもあった、ユダヤ人入植地の水道整備が優先され、パレスチナまでうまく供給されていないそうです。携帯の電波も同様に整備が遅れてれているそう。

あからさまに違います。ひどい対応です。

あー!今思い出したけど、パレスチナ難民キャンプに連れていってもらってない!げ、タクシーの運ちゃんめ。そこも行くっていう約束だったのに。私も疲れていたので、降ろされるまま降りてしまったのもいけないのですが。名刺をもらってたから連絡して苦情を入れようか。

あーもう。でも頭がいっぱいいっぱいなので、とりあえず寝ます。

おやすみなさい。

[エルサレム]旧市街、ホロコースト記念日 [Jerusalem] Old town, Holocaust Remembrance Day

シャローム。(ヘブライ語でこんにちはの意味)

今日は旧市街に行ってきました。ホステルから歩いて30分位です。ムスリム地区、キリスト教徒地区、ユダヤ教徒地区、アルメニア人地区の4つに区分けされています。今でも人々が住んでいて、ホテルやホステルもあります。

ユダヤ教徒地区のジャファゲートJaffa Gateから入りました。

 

ジャファゲート

こういう小道が迷路の様に走っています。

聖墳墓教会

聖墳墓教会は、イエスキリストのお墓として知られおり、また、イエスが十字架に掛けられたゴルゴダの丘は、この場所にあったとされています。

上写真の場所に十字架から降ろされたイエスの遺体が置かれ、埋葬までの準備をした場所だそうです。信者らしき人達が、熱心に祈ったり、持参した布で綺麗に拭いたり、口づけをしていました。涙を流す人もいました。

後ろの壁には、イエスが十字架から降ろされ安置される様子が描かれていました。

お墓はというと、聖堂の中にあります。下写真。

お墓に入る為、長蛇の列が出来ていました。並んでいる人の中には、ポーランドやロシアなど、巡礼ツアーで来た団体の人達も大勢いました。2時間位してやっと順番が周ってきました。

小さな入口から入り、さらにその奥に入ります。人が2、3人やっとで入れる位の空間です。

ここにイエスが眠っていると考えると不思議な感じです。

ここはヴィア・ドロローサ、十字架の道。イエスが十字架を背負って歩いた道です。

ゆるやかな坂道になっています。

ここは、私が行った時は誰もいませんでしたが、聖母マリアが誕生した場所です。

人一人がやっと通れる階段を下ります。

ここは、エルサレムと言えばよく見たことのある、嘆きの壁です。

写真の左側が男性、右側が女性用で分かれています。何故か男性側が大きいですね。

男性側

女性側

聖書も置かれていました。 

夜、ホステルでは、明日のホロコースト記念日にちなんで、ナチス迫害からの生存者である女性を招待してトークイベントがありました。

第二次世界大戦当時まだ少女でオランダに住んでいた彼女は、ユダヤ人であることを隠すために身分証明書を捨て、偽造した新しい身分証明書を所持し、当初は母親に叔母の家に連れていかれて匿ってもらっていたそうですが、その後牧場主のオランダ人のところでお世話になったそうです。初めは自分がユダヤ人であることを隠していたそうですが、ある日勇気を持ってユダヤ人であることを告白すると、「前よりもあたなを愛している。いつまでもここにいていいのよ」。と言われたそうです。

当時オランダに住んでいたユダヤ人は、その5%しか生き残らなかったそうです。

戦後オランダでは歓迎されなかった為イスラエルに移住、財産は全てドイツ人に没収されたので、文字通りゼロからスタートしたそうです。

誰かが、ドイツに行ったことはありますかと質問しました。行ったことないが、今でもドイツ語を聞いたりドイツ人に囲まれるのは正直嫌ですと言っていました。

最後に、「人種差別はよくありません、私はアラブと人達とも仲良くしていきたいと思っています」と言っていました。

イスラエルにユダヤ人が住んでいることはもちろん知っていましたが、ナチスから逃れ戦後に移住してきたユダヤ人もいることは、初めて知りました。

イスラエルでこんな話を聞くとは思っていませんでした。

明日のイスラエルのホロコースト記念日は、ヨムハショアと言うそうです。

おやすみなさい。

 

 

[イスラエル]あなたは疑わしい?陸路で国境越え。[Israel] “You are suspicious.” Crossing Israel border.

シャローム。

ヨルダンから、イスラエルのエルサレムに入りました。が、実は今日、本気で日本に帰ろうかと思いました。これまでの旅の中で一番精神的にキツかったです。今は気持ちもだいぶ落ち着きましたが、思い出すとまだ涙が出そうです。

事の発端は、私の軽率な行動からでした。なのでもちろん反省しています。私が甘かった。はい。でもでも、それにしてもあんな扱いまでしなくても、と考えてしまいます。

世界一厳しいと言われるイスラエルの入国審査で、軽率な行動を取った為に、3時間も拘束され質問攻めにあってしまいました。

それでは、順番に説明します。

ヨルダンからイスラエルには、エルサレムから入国します。ペトラに行った時も利用したJETTバスで行きました。JETTバスだと、ヨルダン出国税の7ディナール(約1110円)が無料になるからです。タクシーで個人的に行く方法もありますが、JETTバスは輸送に慣れていること、あと他にも同じ目的地に行く人がいた方が何かと安心な気がしたので、バスに決めました。

朝6時半アンマンを出発。1時間前にはバス会社に着く様にし、チケットを取ります。バス代は11ディナール(約1745円)。

まずは、ヨルダンのチェックポイントに着きました。一旦バスを降り、手続き窓口にパスポートを提出します。

出国カード。名前や、国籍、パスポート番号、出国日を記入します。

ここでJETTバスのチケットを見せると、出国税は払わなくてOKです。あとは手続きが終わるまでひたすら待ちます。

待合は空港の様です。

私の他に、バスで一緒に来た人も合わせて10名くらいいたでしょうか。ここは外国人専用窓口なので、空いていましたが、反対側のヨルダン人の窓口は長蛇の列でした。

出国税の支払い証明書。

裏に出国スタンプが押されます。

出国審査をが終わると再びバスに乗り込みます。キング・フセイン橋を通ります。いくつかの場所に、銃を持った警備隊が立っていました。

キング・フセイン橋

緊張しつつ、イスラエル側のチェックポイントに到着です。ドキドキしながら列に並びます。元同僚のイスラエル人に、もうすぐ入国するよーとメールしました。

合計3か所位審査カウンターがあった気がします。まず始めの審査カウンターで、荷物をベルトコンベヤーに載せ、パスポートを提出します。簡単にチェックされただけで、パスポートに黄色いシールを貼られました。

何だろうこれ、と思いながら記録の為に携帯のカメラでパシャ。

その瞬間です。STOP!!! と審査官に呼び止められました。瞬間的にあちゃーと思いましが、時既に遅し。今何をしていたのかと聞かれ、すみませんカメラで自分のパスポートを撮っていました、と正直に答えます。撮った写真を見せろと言われたので見せます。すぐにパスポートとカメラを取り上げられ、別の職員の所に連れて行かれました。

男性職員に質問されます。

ヨルダンでは何をして過ごしたのか、どこに宿泊したのか、誰かと出会ったか、その人達の国籍は、誰かに荷物を預かったり物を受け取ったりしたか、職業は具体的に何をしているのか。イスラエルには何をしにいくのか、ウエストバンク(パレスチナ側)には行くのか。何かの集会に参加する予定はあるのか、イスラエル人の知り合いはいるか、その人はユダヤ人かアラブ人か。結婚はしているか、子供はいるのか、これまでどこの国に行ったのか、イスラエル国内はどこに行く予定か(エルサレムとテルアビブと回答)、何日滞在予定か、イスラエルの後はどこに行くのか、航空券は購入済みか(滞在期間をまだ決めていないので取っていませんと回答)、色々聞かれました。

その間私の荷物は、荷物検査官にこと細かく調べられています。大きなバックパック、小さなバックパック、中身を全部取り出して、本やノートは1ページずつめくっています。下着や服も1枚1枚広げて確認、小さなポケットも全て裏返してチェックしています。

ひとしきり質問が終わると、ちょっとここで待つ様に言われ、荷物検査前の椅子で待たされました。なんてことをやらかしてしまったんだろう。普通なら空港で、ましてや審査カウンター近辺で写真なんて撮らないのに、今回は陸路での入国、しかも、悪名高いイスラエルの入国、という物珍しさもあって、記録の為にと撮ってしまったのです。

審査ゲートには、次から次へと観光客が入ってきては無事通過した荷物を持って出ていきます。中国人の団体客もベンチに座る私の前を通り過ぎていきました。

今度は、一番初めの女性職員が来て、今日撮った写真フォルダを開く様に言われ、目の前で該当の写真を削除させられました。キングフセイン橋や国境間の道路の写真も削除させられました。ヨルダン側の建物で撮った写真については何も言われませんでした。削除出来たことを確認すると、携帯は返却してくれました。今度は靴も靴下も脱ぐように言われ、再度X線ゲートを通ります。

そして再び待たされます。しばらくして、さっきの女性職員が手に何かを持って、これは何かと聞いてきました。彼女の手にあったのは、袋の中身が開けられたお守りでした。ショッと怒りで体が震えました。顔が熱くなります。

いったん深呼吸し、これはお守りと言って、友人が旅の安全にと私の為にわざわざ特別な神社からもらってきてくれたもので、本来開けてはいけないものなのだ、ということを伝えました。彼女は謝りもせず、Oh ok. I didn’ know.(知らなかったわ、オッケー。)とだけ言って戻っていきました。悔しかったです。喉が苦しくなりました。近くで見ていた若い男性職員が、「分かるよ。それ僕テレビで見たことあるよ、お守りっていうんだね」と声を掛けてくれます。

また、インドでもらったヒンディー語と英語の対訳が書かれた紙についても、これは何と書かれているのかと聞かれました。

しばらくして荷物検査が終わったことを告げられましたが、見ると、私の荷物は無機質なステンレスの台の上に、全てがぐちゃぐちゃになって広げられていました。その中には、私が失くしたと思っていたペンもありました。

女性職員が来て、我々には元に戻せないから自分で詰める様に言われました。目の前の無残な光景に、手を付けようとしても、悔しさで動けません。泣きそうになるのを堪える為、何度も深呼吸をします。意地でも彼らの前では絶対に泣くまいと。

少し経ってから、1つずつゆっくり手に取りパッキングを始めました。するとさっきの若い職員が来て、「僕も手伝うよ」と言ってくれました。また泣きそうになるのを堪えながら、「ありがとう。でも大丈夫。これは私しか出来ないから。」と言うと、「どこに詰めるか君が指示してくれたらその通りにするよ」と言います。「本当にありがとう。でも自分で出来るから大丈夫。」と断りました。あと1ミリ優しくされたらきっと泣いていました。

どれくらいかかったでしょうか。なんとか全部詰め終わり、また待たされます。最後に、初めて会う女性職員が来て、「ハウアーユードゥーイング?私はイスラエル情報機関の職員で〇〇(名前)といいます。あなたは、私がなぜあなたと話しているか理解していますか?」「はい」と答えました。

一連の質問が終わると、最後に、「我々イスラエルは、安全、治安維持を真剣に考えています。だからあなたもその状況を重く受け止めるように。この時点であなたは既に疑わしい人物として見られているので、今後の観光では安全に注意し、イスラエルを楽しんでください。」と言われました。

パスポートを返してもらい、90日のビザがもらえました。ちなみに、ビザのスタンプはパスポートには押されず、別紙でもらいました。

この時点で3時間は経っていたと思います。

建物を出て乗合の小型バスに乗り、市内に向かいます。隣の席になったリトアニアから来たという男性が、優しく声をかけてくれました。ホステルまでの行き方に確信を持てなくて不安そうにしている私に、自分の携帯で調べてくれようとしてくれました。彼が神様の様に見えました。リトアニアにも行くと言うと、名刺をくれました。

バスを降りると、雨が降ってきたので雨宿りしようと思って軒下に入ったのですが、その瞬間何かがベチャっと降ってきました。嫌な予感がして背中を見るとバックパックに鳩のフンが。
はあ、踏んだり蹴ったりとはこういうことですよね。でも相手は鳩。くじけちゃいけない。フンは拭けば綺麗になります。

やっとホステルに到着。素敵なテラスがあって綺麗だったので安心しました。正直何もやる気が起きなかったのですが、雨も止んだので、重い腰を上げ街に出てみることに。

気温11度。寒。

合計57シェケル(約1758円)。高くてビビります。。

カフェに入り、カフェオレとサンドイッチを注文します。誰かに話したくて、友人や妹にラインで何が起きたか状況を報告しました。話していると、だんだん気持ちが落ち着いてきました。

一旦落ち着いてしまうと、さっきは気が付きませんでしたが、あら、カフェの店員さんが皆イケメン。そしてカフェオレも美味しいし、サンドイッチも新鮮で美味しい。少し希望の光が見えてきました。

コーシャー仕様のマクドナルド(Kosher)

マックがコーシャー仕様のマクドナルドでした。コーシャーとは、ユダヤ教の規定に則った食べ物です。

あちこちに、ユダヤ教徒の男性が被るキッパが売られていました。小さな帽子をどうやって被っているのか気になっていましたが、髪留めが付いていて、それで髪の毛に止めている様です。髪が十分にない人はどうするんだろう。。

SIMカードもゲットしました。SIM代50シェケル(約1540円)、1カ月有効15GBプラン79シェケル(約2437円)、合計3980円。15GBも要らないのですが、これが一番安いと言われました。探せば他に安い所があるかも知れません。

今朝は、一瞬本気でもう日本に帰ろうと思いましたが、もう大丈夫。通関職員の人達は、一人の女性職員を除いては、皆、決して高圧的な態度というわけではなく、淡々と自分のやるべき職務を遂行しているという感じでした。やっていることは頭では理解できるのですが、あんなに質問攻めにされると、まるで自分が犯罪者になった気になり、プレッシャーを感じるものだということが分かりました。そして、国の事情によってとらえ方が違うことも身に染みて分かりました。

自分の甘さと、世界は広いのだと痛感しました。

まだまだ知らないことだらけです。

明日から気持ちを切り替えます。おやすみなさい。