サラエボ→シュトゥットガルト (ドイツ)へ合計20時間の移動 Sarajevo→Ljubljana→Stuttgart. 20 hrs bus ride.

友人と合流する為、ドイツのシュトゥットガルトに向かいます。

  1. モスタル→サラエボ(列車で約2時間半:12マルク約770円)
  2. サラエボ→クロアチア→リュブリャナ(スロベニア)(FlixBusで11時間:29,99ユーロ約3760円)
  3. リュブリャナ→かシュトゥットガルト空港(FlixBus で9時間:29,99ユーロ約3760円)

合計20時間を超える移動です。

1. モスタル→サラエボへ

サラエボまで戻ります。列車で約2時間半。乗車料金12マルク(約770円)

サラエボで1泊して、翌朝のバスに備えます。

2. サラエボ→リュブリャナへ

サラエボで、あやうくリュブリャナ行きのバスを逃すところでした。

FlixBus サラエボ8:00発 → リュブリャナ18:50着 約11時間。

サラエボのバスステーション。出発ホームはこの裏にあります。

バスステーションで待つも、なかなか来ない。やっとFlixBusと書かれたバスが来たと思って乗り込もうとしたら運転手さんに制止され、チケットを見せるも英語が通じない。。どうやらこのバスではない模様。困っていると、別のスタッフらしき男性が来て、英語が通じない中なんとか私がサラエボに行きたいのを分かってくれた様子。その瞬間、ここじゃないよ、ほら!と私の荷物を持って走る!
え、私の荷物。不安になりながら私も走ってついていくと、建物の反対側に出てそこにはバスが何台も停まっている。あれ、ここ。そう、ここが出発ホーム。さ、ほら、早く乗るんだ!言われるがままに荷物を受け取り乗り込む私。去っていく彼。サンキューって言ったの聞こえたかな。

出発ホーム

見た目がヤンキーぽかったからって疑ってごめんなさい。私の為に重い荷物をひょいと担いで全速力で走ってくれた。めっちゃ良い人だった。涙出そう。


4,5時間経ったでしょうか。バスはクロアチアに入ります。
国境ゲートの列に並ぶバスの中から外を見ていると、巨大な巣を発見。しらばく見ていると、親らしき鳥が帰ってきて、巣で待つヒナに餌をあげていました。コウノトリかな。

クロアチアとの国境付近でバスから見えた鳥の親子

余談ですが、この国境があるところはスルプスカ共和国(Republika Srpska)にあります。スル。。何?
ボスニア・ヘルツェゴビナって、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国の2つから成り立っているそうです。ここに来て初めて知りました。

(2)1995年12月、デイトン和平合意の成立により戦闘は終息。ボスニア・ヘルツェゴビナは、ボシュニャク系及びクロアチア系住民が中心の「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」及びセルビア系住民が中心の「スルプスカ共和国」という2つの主体(エンティティ)から構成される一つの国家とされた。

外務省のボスニア・ヘルツェゴビナの基礎データ
赤い線で囲まれた所がスルプスカ共和国。首都のサラエボはボスニア・ヘルツェゴビナ側にあります。

いやあ、世の中知らないことだらけです。

11時間後の夜7時前に、リュブリャナに到着しました。まだ外は明るいです。ここでも少しゆっくりしてからシュトゥットガルトに向かおうと思います。一気に行くこともできますが、さすがに20時間のバス移動はキツイので。
ということで、一旦おやすみなさい。

3. リュブリャナ→シュトゥットガルトへ

FlixBus リュブリャナ23:35発 → Stuttgart 8:20着 約9時間

リュブリャナのバスステーションで待っていると、結構な人がいて続々と来るバスに乗り込んでいきます。中にはイタリアのベニスまで行くバスもありました。そっか、スロベニアからイタリアって近いのね。

お尻が痛い。。こんなに座りっぱなしだとお尻絶対潰れるだろうなあと思いながら、無事シュトゥットガルト空港内のバス停へ到着。

バスを降りると、すぐに友人が私の名前を呼んで駆け寄ってきてくれました。わーい!1月に沖縄を出てから半年ぶり。今日から数日ドイツで一緒に過ごします。

そして明日マラソン大会に出ます!7kmだけど。

[ボスニア・ヘルツェゴビナ]モスタル:クロアチア側に行ってみた。そしてスナイパータワー[Bosnia and Herzegovina]Mostar:Croatian side and sniper tower

今日はネレトヴァ川を渡り、クロアチア側に行ってみました。

矢印の橋を渡ります。

橋を渡っていくとそこはクロアチアサイドと言われる、クロアチア系の人々が多く住むエリアになります。道が広くてボスニア側とは少し雰囲気が違う?

しかし、ここにも激しい砲弾跡が残るビルがありました。

サラエボでもそうでしたが、砲弾跡が残る建物と穴が塞がれて修復されている建物があるのに気がつきます。違いを聞くと、後世に伝える為あえて残している場合と、単に修復する費用がない為そのままになっている場合があるそうです。ボスニアの失業率は40%を超えるそうなので、経済的な影響は大きいのでしょう。

大きな交差点の角に、ひときわ目立つ建物がありました。

大学

大学の様でした。そしてそのすぐ先に見えたのが、悪名高きスナイパータワーです。いわゆる射撃塔です。元々は銀行だったそうです。

紛争時にはこのビルから人々に砲弾が向けられました。今は廃墟となっています。

横断歩道に残る砲弾の跡

ビルの前の横断歩道にも、生々しくえぐられた跡があります。その数に思わず一歩踏み出すのを躊躇します。

よく見ると、歩道から外れた道路には砲弾の跡が殆ど見つかりません。。なんで。

ハッと気づいて思わず建物を見上げました。

この下を人々は死のダッシュをして決死の横断をしたのです。

スナイパータワーの内部。HIDDEN AMBITIONS 隠された野望
グラフィティアートの美術館さながら
立ち入り禁止の張り紙

建物は塀で囲われていて中には入れませんが、塀を乗り越えて入る人もいるそうです。

砲弾跡をなぞる
周りを過酷塀にもアートが

下の映像で、大通りにある廃墟、ひときわ目立つ黄色の大学、そしてスナイパータワーが見られます。

日の丸が描かれたバス

交差点を通るバスに日の丸が!

よく見ると、日の丸の下には”From the People in Japan”と、その右側には”Cooperation Japan for Bosnia and Herzegovina 2002″と書かれています。
以前セルビアに行った時、同じ黄色のバスがベルグラードの街を走っていたのを思い出しました。その時セルビア人の友人に、君たち日本人のおかげで僕はバスに乗れるんだ。だからこれからもちゃんと税金払ってね(笑)!と言われたのも思い出しました。

明日は一旦サラエボに戻り、再度スロベニアのリュブリャナまで行きます。
理由は、夏休みでドイツに来ている日本の友人とドイツで合流する為です。


[ボスニア・ヘルツェゴビナ]モスタル:洞窟カフェでゆったり[Bosnia and Herzegovina]Mostar: Relaxing day at cave cafe.

今日は特に予定はありません。とりあえず町へ出ます。

モスク
爪研ぎ中の猫。模様がかわいい。

青空の下のスタリモスト橋が綺麗です。でもこの橋要注意です。何故か、低い階段の様になっていて、石がツルツルしていて滑る滑る。何名か転んでいる人もいました。

橋から眺めるネレトヴァ川。水が透明で綺麗です。
遠くに見える細高い塔は教会です。

橋を渡った先は迷路の様な路地が続きます。

まっすぐ行った路地の左手に、川に降りていく道がありました。

下から眺めるスタリモスト橋

橋に戻ると、何やら賑やかで、見ると人が橋の外側に立っており、飛び込む様です。

飛び込んだ

飛び込んだ直後、仲間らしき別の人が観客からチップを集めていました。なるほど、パフォーマンスね。

この猫2時間前も同じ場所で寝ていたけど、まだ寝てる。

そうそう、さっき歩いていた時に見て気になっていたCave Cafeという看板。行ってみたら本当に洞窟でした。Alibaba Mostar

アイスカフェラテ4マルク(約257円)。

この後、Museum of War and Genocide Victims 1992-1995という博物館に行きました。ボスニア紛争時のモスタルの様子を知ることができます。入場料10マルク(約643円)。

明日はクロアチアサイドに行ってみようと思います。

[ボスニア・ヘルツェゴビナ]モスタル:元陸軍兵士のクレイジーガイと行くツアー[Bosnia and Herzegovina]Mostar: Tour with crazy Bosnian guy.

今日は、Hostel Miranのオーナーであるミランさんがガイドを務めるツアーに行ってきました。”Crazy Bosnian guy”とグーグル検索すると、ミランさんの笑顔の画像が真っ先に出てきます。ボスニアの元陸軍兵士でもあるボシュニャク(ボスニア人)の彼は、強くて優しい、一言で言えば皆に慕われている部活のコーチみたいな熱い男です。笑。

ツアーで行くのは次の5箇所。

  1. Yugoslavia Aircraft Hanger(ユーゴスラビア時代の秘密の格納庫)
  2. Blagaj Tekke(ブラガイ)
  3. Počitelj Village(ピチテリ村)
  4. Kravice waterfall(クラヴィツェの滝)
  5. Fortica Park(要塞)
  6. Abandoned building (砲弾跡が残る廃墟)

ツアー代金70マルク(約4500円)

ミランさんの運転で出発〜!

車内ではノリノリの曲が
1. Yugoslavia Aircraft Hanger(ユーゴスラビア時代の秘密の格納庫)

モスタル郊外のだだっ広い道で車を降りると、アーチ型の建物が現れました。

格納庫から道路を見た風景。滑走路としての機能もあったそうです。

ユーゴスラビアだった時代に作られた秘密の格納庫です。

ゴミが散乱する入り口

ヨーロッパでもない、かといってロシアでもないユーゴスラビアが、何かあった時の為にと秘密裏に建設し、航空機などを保管していたこの施設。物資なども保管していて、核シェルターとしての機能も備えていたそう。昨日の敵は今日の友。いや、今日の友は明日の敵。という疑心暗鬼があったのでしょうね。

ゴミや割れたガラス、がれきが散乱しています。スニーカー履いてきてよかった。

中に入っていきます。

中は真っ暗闇。スマホのライトで足元を照らします。

暗闇の中を歩く
数々の小部屋があります。
壁にある足跡。誰がどうやって。。

ここで、ミランさんの掛け声で、皆で一斉に叫んでみます。音の反響がすごいです。

エコーがすごい。

この廃墟具合を見るとちょっと怖いですが、ミランさんの説明によると、ユーゴスラビア時代は、同じ会社に10年以上勤務すると政府からアパートが支給されたり、1984年当時は150カ国以上の国にビザ無しで行けたりと、大統領のチトーは国民に好かれていたそうです。

2. Blagaj Tekke(ブラガイ)

この崖スレスレに建つ建物。モスクだそうです。

写真右に写っている様に、船で奥の洞窟へ行くことができます。(有料)

3. Počitelj Village(ピチテリ村)
石畳を上ります。

石畳の路地が迷路の様に広がっています。

左上には要塞、右下にはオスマン時代のモスクが見えます。
四角やアーチ型の窓
眼下に流れるネレトヴァ川 (Neretva)
4. Kravice waterfall(クラヴィツェの滝)

待ちに待ったスイムタイム!滝の水の音が気持ち良い。

少し冷たかったですが、入ってると慣れます。
岩を越えれば滝の下まで行けますが、観光客が足を滑らせて死亡したことがあるという話におののいたへなちょこスイマーの私は、ここでもやっぱり足が着く所で泳ぎました。

泳ぎの後は川岸にあるレストランでランチ。
5. Fortica Park(要塞)

最後に訪れたのはForticaという丘。モスタルの町が一望できるここで聞いたミランさんの話は、グッとくるものがありました。

はためくボスニア・ヘルツェゴビナの国旗
大砲

ボスニア紛争時には、ここからモスタルの町に向けて砲弾が放たれたそうです。

ここで、ボスニアの陸軍兵士としてミランさんが体験したボスニア紛争の話、そして案じている現在の状況を話をしてくれました。

昔のモスタルは、クロアチア人もボスニア人もご近所同士仲良く暮らしていたこと。しかし今では町が分断され、クロアチア人の子供はクロアチア側の学校へ、ボシュニャク人の子供はボスニア側の学校へ行くようになったこと。バスターミナルも二つ、消防署も二つ、学校も二つ。現在の憲法は紛争後の1995年に米国が英語で作ったものであること。現在のボスニア・ヘルツェゴビナは、3つの民族 3つの大統領69政党があり複雑なものになっていること。スタリモストの橋はセルビアじゃなくてクロアチアが破壊したこと。

ネレトヴァ川の東側と西側それぞれにバスステーションがあります。

分断されてしまった町。この日の夜、その象徴とも言える光景を目にすることになります。(それについては後述)

当時の状況がよく分かるとミランさんが教えてくれたYoutube映像、”East Mostar hell on earth”。残念ながら日本語字幕はありませんが、必見です。


5. Abandoned building (砲弾跡が残る廃墟)

最後にミランさんが私たちを連れて来たのは、激しい砲弾を受け廃墟となった建物でした。

あまりの砲弾跡に全員言葉を失いながら、恐る恐る中に入ります。

隣には綺麗なアパートが。

廃墟前の道路。周りは普通の住宅街です。

廃墟前の道路
クーラーの室外機とスクリーンが掛けられた窓

建物を出て改めて見上げてみると、ある部屋に気がつきました。窓にスクリーンが掛けられていて外にはクーラーの室外機があます。え、誰か住んでる?ミランさんにもよく分からないとのことでした。

Miran’s ツアーはこれで終わりです。
精力的に私たちを案内してくれたミランさんが最後に言っていたことが忘れられません。
今は平和に見えるモスタルだが、悲しいことに町はさらに分断に向かっている。私が小さかった頃の様に自分の子供(ボシュニャク)もクロアチア人の子供も仲良く同じ学校に行って欲しいが今では難しくなっている。。

おまけ:分断を見た気がしたワールド杯

この夜、W杯のゲームを見るためツアー仲間と町のレストランへ出掛けました。

クロアチア vs ロシア戦です。

試合はPK戦に持ち込まれました。

そしてクロアチアがシュートを決めた瞬間、私たちの周りのテーブルで歓声が湧きました。

クロアチア勝利の瞬間

今回の試合ではクロアチアを応援している人が多かった様です。私たちがいたのはボスニア側ですが、川向こうのクロアチア側から花火が上がりました。

クロアチア側から上がる花火

ちなみに、ボスニア側では花火は上がりませんでした。この時、小さなモスタルの町が川ひとつで分断されているのを見た気がしました。

あとでホス友の一人が、今平和になったボスニア・ヘルツェゴビナだけど、小さなきっかけでまた何か起きてもおかしくないと感じると言っていました。ゾッとしました。

何も起きないことを切に願います。今日って七夕だったんだ。今きがつきました。

[ボスニア・ヘルツェゴビナ]サラエボからモスタルへ列車移動 [Bosnia and Herzegovina]Sarajevo to Mostar by Train

今日はサラエボの南にある街モスタル(Mostar)へ、列車で移動します。

モスタル行きは1日に2本、7:07発と16:50発がありますが、私は16:50発の列車で向かいます。

サラエボ駅に行くトラム乗り場で、ホステルで同室だった香港の子に会いました。彼女もモスタルに行くというので一緒にトラムを待ちます。

しかしトラムが来ない。。30分経っても来ない。焦り始めます。

Bankaから駅まで
トラムの前で、乗客が警察に何かを訴えている様子。

来た来た、やっと来たー!と思ったら、車内で盗難があったらしく、警察も来てトラムはずっと停まったまま。しかたなく香港の子と二人でタクシーを拾うことにしましたが、来るタクシー全て満車。

本格的に焦り始めた矢先、トラムが再開したので急いで乗り込みました。でもこの時間じゃ多分間に合わない。。香港の子は、間に合わなかったら路線バスででも行くと話していましたが、私は、バスは面倒くさそうだしサラエボでもう一泊するしかないかな、と考えていました。

サラエボ駅のチケットカウンター

駅に着いたのは、出発5分前の16時45分。チケットカウンターにダッシュするもまさかの長蛇の列!列は一向に進まずカウンターの中を見ると、チケットを一枚一枚手書きしているではないですか。えー、これじゃ絶対間に合わない。スタッフを捕まえて聞くと、片言の英語で列車には乗れるから大丈夫と言う。私達の他にも何人かモスタルに行く人がいました。そして、無事チケットをゲットし乗車できました。料金10,9マルク(約700円、二等車)。

後で調べると、このサイトでも購入出来る様です。
Railways Federation of Bosnia and Herzegovina

乗車券。2枚目の紙(これも乗車券?)にも手書きでした。
サラエボ駅のロビー

列車は予定時刻より25分遅れで出発しました。

サラエボ駅のプラットフォーム。
列車の車内
車窓からの景色

2時間後の午後7時20分、モスタルに到着しました。まだ外は全然明るいです。

モスタル駅

今日の宿は、名物オーナーで評判のホステル、Hostel Miran 1泊9,9ユーロ(約1250円、朝食付き)。

駅からホステルまでは徒歩5分くらい

チェックアウトを済ませ、香港の子とディナーへ。
石畳の道、緩やかな坂道になっていて、サンダルで歩いていると何度も滑りそうになりました。明日からはスニーカーにしようと固く決心。

だんだん日が暮れてきました。

スタリ・モスト(Stari Most)が見えました。

夕暮れ時のスタリ・モスト

Stari Mostとはモスタルを流れるネレトヴァ川に架かる橋。オスマン時代に建てられた古い橋ですが、1993年ボスニア紛争で破壊されてしまいます。現在の橋は2004年に再建されたもので、翌年にはボスニア・ヘルツェゴビナ初の世界遺産として登録されたそうです。

明日は、ホステルの名前にもなっている、名物オーナーのMiranさんがガイドをするツアーに行ってきます。楽しみ!

[ボスニア・ヘルツェゴビナ]サラエボのロミオとジュリエット[Bosnia and Herzegovina]Romeo and Juliet in Sarajevo

今日は、昔テレビのドキュメンタリー番組で見た、あの橋に行ってみようと思います。

その前に、2017年にオープンしたばかりのWar Childhood Museumへ。
ボスニア紛争のさ中、子供だった人達から当時のカバンや水筒、バレエシューズ、本、おもちゃなど、思い出が詰まっている所有物を集め、エピソードや証言とともに展示している博物館です。
入館料10マルク(約640円)。

博物館の前で遊ぶ子供達

博物館と同じ名前の本が出版されており、日本語に訳された本も売られていました。

風船を持った子供。よく見ると持っているのは手榴弾です。

その後、旧市街にあるとコーヒー屋さんで一服。Andarとい名のお店は元々靴屋さんだったらしく、靴や木型がデコレーションされています。

Caffe Bar Andar

コーヒーが美味しいらしいですが、私は気分だったのでクランベリージュースを飲みました。料金3,5マルク(約226円)。

靴底のメニュー。このお店ができたストーリーも書かれていました。

これはEternal Flame(永遠の炎)と呼ばれる炎です。第二次世界大戦の犠牲者を弔う炎で、その名の通り絶え間なく光を灯しています。

Eternal flame 永遠の炎

大通りの側で本のマーケットが開かれていました。知らない街で、本屋さんを見つけるとホッとするのはなぜだろう。

しばらく本屋さんを覗いた後そのまま歩いていくと、モダンな高層ビルが見えます。奇抜な形。オフィスビルかなあ。

近代的な建物

かと思うと、砲弾跡が生々しく残る建物がここにもありました。

無数の砲弾跡が残る建物

そんな相対する建物の前に、今日の目的であるその橋はありました。

近代的な建物(右)と砲弾跡が残る建物(左)の前にある橋

今回ここを訪れたかった理由は、昔ドキュメンタリーで見た、サラエボ包囲の中に見た、あるカップルの最期の姿が脳裏に焼き付いていたからです。

ミリャツカ川(Miljacka)を通る橋

そのカップルは、ボシュニャク人女性のAdmira Ismicとセルビア人男性のBosko Brkic。砲弾が飛び交う街から逃れるため、二人は街を離れることを決意します。しかし、そのためにはスナイパー通りと呼ばれたこの橋を渡らなければなりません。二人は手に手を取り、文字通り決死のダッシュを試みますが、狙撃されてしまいます。その場に倒れ即死状態のBosko、ほぼ同時に撃たれたAdmiraは最後の力を振り絞って彼の元に這い寄ります。愛する彼の体を覆うように抱きしめ泣き叫ぶAdmira。ついに彼女も力尽きてしまいます。
近くのホテルにいたジャーナリストが、この光景を写真に記録撮していました。私がドキュメンタリー番組で見たのはその写真でした。

Admiraが撃たれた後もBoskoに寄り添いながら10分程生きていた、ということを初めて知りました。この10分間の彼女の気持ちを想像すると、胸が締め付けられます。

宗教も民族も違うカップル(Admiraはイスラム教Boskoはキリスト教)に起きたこの悲劇は、サラエボのロミオとジュリエットとも言われています。しかし、彼らのようなカップルは当時のサラエボには多く、許されない愛ではなく、周りからも祝福されており、両方の家族ぐるみのつきあいがありました。宗教や民族に関係なく共存していたボスニアで起きてしまった紛争。

Suada and Olga Bridge(スアダとオルガの橋)

ちなみに、この橋の名前のSuada and Olga Bridge(スアダとオルガの橋)は、サラエボ包囲の際、最初の被害者となったスアダとオルガから名付けられているそうです。

二人が渡ろうとしていた橋の向こう側を歩き、遠回りしてホステルに戻りました。

夕方、ウォーリー達皆でサンセット見に行こうよ、とホワイト要塞(White Fortress)へ行きました。

下の写真は、坂の途中にあったMemorijal Kovači Sarajevoという墓地。

サラエボ包囲の犠牲になった、11000人以上の人達が眠っています。

犠牲者の名前が刻印されています。
道の途中にいた猫。何か言っていました。

要塞らしい塀が見えてきました。

白い岩石で出来ているのでホワイト要塞だそうです。

要塞の外側に出ると、サラエボの街を一望できます。

下は断崖絶壁ですが。。

近くのRestoran Bijela Tabijaレストランで夕食。

明日は、サラエボの南にあるモスタル(Mostar)に向かいます。

[ボスニア・ヘルツェゴビナ]三つの民族、三つの宗教、三つの公用語、三人の大統領 [Bosnia and Herzegovina] 3 residents, 3 religion, 3 official languages, and 3 presidents

交代で大統領って

フリーウォーキングツアーに参加してきました。国立劇場前で集合。参加者は15人位いました。

ガイドは、サラエボ生まれサラエボ育ちの女性。宗教は、ボスニアで大きな割合を占めるイスラム教徒とのことだけど、ヒジャブも被っておらず上着はタンクトップ。ムスリムっぽくないぞ?皆の疑問を察したかに様にすぐに、ボスニアのムスリムは規律が緩やかで服装も自由、お酒もタバコもたしなむと人もいるという説明がありました。

でも考えたら、キリスト教徒にも敬虔な信者もいればそうでない信者もいるわけで。仏教徒もしかり。ここでも自分のステレオタイプの考えが気持ちよく破壊されました。

あと、タバコといえば、喫煙率の高いボスニアでも今はいくらか分煙が進んでいるが、つい5年前に彼女が病院で出産した時には、助産師さんがそばでタバコを吸っていたらしいです。今ではさすがにないそうですが。でも確かに、カフェやレストランでも普通にタバコを吸っている人がいてびっくりしました。灰皿もデフォルトで置かれているし。

テーブルの上に置かれた灰皿

ここで、
【ボスニア・ヘルツェゴビナの基本情報】
3つの民族:ボシュニャク人が48%、クロアチア人が14%、セルビア人が37% (Wikipediaより引用)。
3つの宗教:ボシュニャク人=イスラム教徒、クロアチア人=キリスト教徒(カトリック)、セルビア人=キリスト教徒(東方正教)
3つの公用語:ボスニア語、クロアチア語、セルビア語
3人の大統領:ボシュニャク人、クリアチア人、セルビア人からそれぞれ1人の代表が選ばれて、8ヶ月毎に交代で大統領としての業務を行うのだそうです。
失業率:40% (ガイド情報)

大統領が3人って!あそっかあ、画期的だし仲良くお互い尊重しあってグッドアイデア〜!と一瞬思ったのですが、いやいやいや、まさにこれがボスニアの過去と現在の複雑さを象徴しているのです。

ということで、これを踏まえてツアー出発。

下の写真は、Liberation広場にあるMulticultural Manという彫刻。1997年にイタリアから寄贈されたもので、直訳すると「多文化的な人」となるのでしょうか。鳥が舞っていて幸せそうです。

Multicultural Man。後ろに見えるのは、セルビア正教の大聖堂。

面白いのが、当初ヌードはまずいんじゃないかと問題視され、パンツを履かされていたそうです。しかも赤。。ぷふ。想像するとギャグにしか思えない姿ですが、当時の人はあくまで真剣に話し合ったのでしょうね。それもまた笑える。

次に行ったのがラテン橋。サラエボで一番古い橋で、第一次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件が起きた場所として知られています。

ラテン橋。ピンク色の建物はサラエボ事件の博物館となっています。

サラエボ事件とは、1914年6月28日、セルビア人のガヴリロ・プリンツィプ青年によって、オーストリア=ハンガリー王国の皇太子夫妻が暗殺された事件で、これがきっかけで世界中で戦争が起き、第一次世界大戦となったのです。

博物館にある大公フランツ・フェルディナントと妻ゾフィーの等身大の人形。

なぜセルビア人の犯人がオーストリア=ハンガリー王国の皇太子夫妻を暗殺したのか?

彼らはボスニアに住むセルビア人で、隣のセルビアが独立していた中、ボスニアがオーストリア=ハンガリー王国の支配下になったことに不満を持っていました。そして、軍事パレードのためにサラエボを訪問中だった皇太子夫妻の暗殺を計画したのでした。

犯人グループ7人の写真。一番左が夫妻を暗殺したガブリロ・プリンツィプ。
ドクロマークが暗殺現場。現在角の建物は博物館になっています。

皇太子夫妻の乗る車は、チュムリヤ橋(Cumurja)から→ラテン橋(Lateiner)方向へ向かっていました。犯人グループは、爆弾で暗殺を試みるも失敗。代わりに近くにいた市民が巻き込まれて負傷してしまいます。夫妻はそのまま市庁舎での歓迎会に参加、その後負傷した市民を見舞うために病院に向かう途中、犯人グループの一人プリンツィプによって至近距離で銃撃されたのです。暗殺現場角にある建物は、現在は博物館になっています。入場料2マルク(約130円)。

フランツ・フェルディナンド暗殺博物館。Museum of the Assassination of Franz Ferdinand。

博物館の外壁には当時の出来事を記した石碑があります。

暗殺に使われた銃
ガブリロ・プリンツィプの足跡のレプリカ

暗殺者プリンツィプの足跡は、当初は暗殺時に彼が立っていた場所に設置されていたそうですが、後に破壊され、現在ではそのレプリカが博物館にあります。
何故か館内には展示されておらず、説明文も無いまま入り口にひっそりと置かれていました。

博物館の入り口にひっそりと置かれた足跡のレプリカ。

サラエボ最古のモスク、Emperor’s Mosqueです。国民の約半数がイスラム教徒ですもんね。

Emperpr’s Mosque

次に訪れフラシスカン教会(Church of Saint Anthony of Padua)はカトリック教会です。

フランシスカン教会(Franciscan church)。カトリックの教会です。

フランシスカン教会の道向かいにある、Sarajevska Pivaraというビールの醸造所です。1994年のサラエボ包囲で電気や水道管が破壊された時には、ここから水が供給され貴重なライフラインとなったそうです。

ビールの醸造所Sarajevska Pivara

最後に訪れたのは、旧市街にあるMorica hanと呼ばれる商人宿。今でいうビジネスホテル的なものでしょうか。オスマン帝国時代に、商人が最大3日間無料で宿泊出来、食事も提供されたそうです。

旧市街地に入る前に、ガイドから、スリが多いので持ち物は肌身離さない様に注意がありました。グループで行動していると大丈夫と思いがちですが、スリにとっては紛れ込み易く狙われやすいとのこと。

ツアーはここで解散でした。

The Museum of Crimes Against Humanity and Genocide 1992–1995

直訳すると、「人道に反する犯罪と集団虐殺の博物館」でしょうか。

ここでは1992年ー1995年のボスニア紛争に関する写真や記録映像、当時の人々の生活、生存者のインタビュービデオなどがあります。1992年ってつい最近じゃないですか。朝起きてバスに乗って仕事に行き、友人とレストランでランチ、週末には映画館でデート。そして、次の日に突然銃弾が降ってくる。残っている映像がカラーで、今とさほど変わらない街の光景で、人ごとじゃないというか、変に実感が沸いてきます。
入場料10マルク(約650円)。

SIMカードが安いよ!

SIMカードを購入しました!
m:telという携帯電話会社で、サラエボ大聖堂近くにお店がありました。

英語を話せるスタッフが対応してくれて、その場でSIMを差し替え設定までしてくれてすぐに繋がりました。料金は、4GB7日間有効で4マルク(約260円)と激安!今まで行った国の中でも一番安いんじゃないかと思います。これならボスニア滞在が延びても気楽に追加が出来ますね。

旅友との再会と新しい出会い

トルコで出会って、数日旅を共にしたウォーリーと、約1ヶ月半ぶりに再会しました!トルコで別れた後、私はイランへ彼はギリシャに向かったのですが、連絡を取るとちょうど彼もボスニアのモスタルにいて、今日サラエボで合流できたというわけです。

旧市街でランチをすることに。

デザートには、ガイドがオススメしていたバクラヴァを食べました。
クルミやナッツなどが入ったパイを蜂蜜のシロップに漬けたもので、長期保存出来そうな激甘さ。多分シナモンも入ってます。

バクラヴァというデザート

夜、ホステルのテラスに行くと、真剣な眼差しでパソコンに向かっている人が。話しかけると、ヨルダンからなんと自転車でずっと旅しているというのです。パソコンには、綿密に計画した地図やステジュールが書かれていて、ボソボソっと控えめな声で説明してくれました。印象的だったのは、彼のフェイスブックには、道中出会った人について感受性豊かに記録していたことです。謙虚に見えるけど内に秘める情熱みたいのを感じました。カッコイイ人でした。

その後、イラン系アメリカ人とウォーリーも加わり、4名で話が盛り上がりました。

今日は、サラエボの歴史を垣間見て、あまりの衝撃で色々と考えさせられました。今頭がいっぱいになっています。

[ボスニア・ヘルツェゴビナ]サラエボの花 [Bosnia and Herzegovina] Sarajevo Rose

バスでリュブリャナからサラエボへ移動
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FlixBusで深夜1時過ぎにリュブリャナを出発してから約10時間、朝11時過ぎにボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボに到着しました。

バスステーションを出て左手に5分位歩いていくと、ねじれてそそり立つ高層ビルが目に入ります。おう、なかなかモダン。ボスニアといえば、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のイメージが強いので少し意外に思いながら歩くと、トラム乗り場がありました。すぐ前にはサラエボ駅があります。

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トラムの向こうに見えるねじれた高層ビル。新聞社のビルらしいです。

チケットは乗り場近くのキオスクで買えます。1,6マルク(約100円)。車内にある打刻機にチケットを差し込み打刻。

20分位行った所にあるKatedral前で降車。ここからホステルまで急な坂道を歩きます。暑い。。バックパックが重い。。思わずタクシーに乗りたい衝動にかられますが、一方通行の小さな道で拾えそうにないし歩くしかありません。
汗だくになりながら着いたホステルは、The Doctor’s Houseというホステル。1泊12,4ユーロ(約1570円朝食なし)。

*現在ホステルは閉店している様です。

ホステル前の坂道

ランチに、ボスニア料理の肉詰めを頂きました。

玉ねぎやパプリカの肉詰め。お米も入っていました。上の白いのはサワークリーム。
サラエボの薔薇

街に出ようと歩いていると、建物の傷に気がつきました。

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無数に残る砲弾の跡です。何気ない住宅街にある目の前にあるこれが本当にそうなのかと、愕然としました。
窓には綺麗なカーテンがかかっているので、住んでいる人がいるのだと思います。

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お花の鉢植えが並べられている窓。ここにも砲弾跡が残っています。

砲弾跡が生々しく残る建物に見えた、普通の人々の生活。不思議です。

下写真の建物は、砲弾跡が塞がれ修繕されています。

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塞がれて修繕された砲弾の跡。

坂道を降りた先にサラエボ大聖堂があります。さっきトラムを降りた場所です。

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サラエボ大聖堂 (Sacred Heart Cathedral)

トラム乗り場の反対側に正面入り口がありました。大聖堂の前はサラエボの中心地となる通りで、お洒落なカフェやレストラン等があり、テラス席でくつろぐ人達や散策を楽しむ観光客で賑わっています。

何気なく歩いていると、ふと、地面にワインをこぼした様なものが。。これもしかして。

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調べると、これはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時、砲弾による死者が発生した場所で、追悼の意を込め砲弾の跡を赤い塗料で埋めたのだそうです。花の様に見えることからサラエボローズと呼ばれているそうです。

サラエボの街には、このようなローズがあちこちにあります。

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ここにもありました。

「サラエボの花」という映画を思い出しました。花ってこの花のことだったのだろうか。。

胸が締め付けられる思いで始まったボスニアの旅。もっと知りたいと思いました。明日フリーウォーキングツアーに参加します。