[ウクライナ]最終日:S or M? [Ukraine]S or M?

ドーブルィ デーニ!(ウクライナ語でこんにちはの意味)

今日はリヴィヴの最終日。なんやかんや居心地が良くてこの小さな街に8日間も滞在したのだけれど、ここでシティウォーキングツアーに参加することに。

参加したのはここの旧市街ツアー。https://freewalkingtour.com/lviv/old-town-lviv/

11時、ミーティングポイントのリノック広場のネプチューンの噴水で集合。ガイドから、リヴィヴは400年の間ポーランドだったことが説明されたうえでツアーのスタートです。

広場に面した建物。

まずリノック広場の建物。昔、この広場では「3つの窓ルール」があり、各階窓は3つまで。それ以上つけると高額の税金が取られたそう。3つ以上の窓を持てるのは聖職者やお金持ちに限られていたそうです。理由は、ここで商売をしている商人達は、広場に面した窓際に商品を陳列しており、公平性を保つためにこのルールがあったのだそう。上の写真、右側の家は窓が3つだけどその隣の家は4つありますね。このルールが撤廃された後は2世帯つなげて6つの窓にした家もあります。
広場を歩く時に、当時に思いを馳せながら見上げ絵てみると面白いかもです。

市庁舎

市庁舎には時計台があり住民に時刻を知らせていましたが、過去に一度壊れた時には修理の間、修道院から男性が来てトランペットを吹き時刻を知らせたそうです。
この市庁舎の頂上からはリヴィヴの街が一望できます(有料)。私は登りませんでしたが。

これはビアレストランで見つけた、トランペットの楽譜。
1735年から続く薬局。今も現役です。
ドミニカ教会

ドミニカ教会に来ました。リヴィヴの主な宗教はギリシャ正教だそうです。ドミニカ教会は、元々はカトリック教会として建てられたが現在はギリシャ正教の教会になっています。宗教を禁じていたロシア時代には無宗教博物館として利用されていたそう。そういえばキエフにも全く同じ境遇の教会がありました。
ちなみにリヴィヴでは、クリスマスを12月25日とギリシャ正教やウクライナ正教のクリスマスである1月7日の2回、祝うそうです!クリスマスシーズンのリヴィヴも素敵だろうなあ。

ボイム礼拝堂

ボイム礼拝堂。注目は上です上。首が痛くなる感じで頑張って見上げてみると。

座るイエス・キリスト

なんとキリストが十字架の前で腰を下ろして座ってる!なんだか考える人みたいになってます。笑。
座っているキリスト像は世界でも珍しいとか。

アルメニア教会
レーオポルト・フォン・ザッハー=マーゾッホの銅像

そしてこの方、マーゾッホさんです。誰。。
レーオポルト・フォン・ザッハー=マーゾッホ (Leopold Ritter von Sacher Masoch)は、マゾの語源になった人です。そう、S&MのMの方ですね。まさかウクライナでマゾに出会うとは。こういう思いがけない出会いがあると一気にテンションが上がる私。
ガイドが「実はマゾが着ているズボンのポケットには秘密があるのです。誰か確かめてみたい人ー!」の呼びかけに迷わず手を挙げ、言われるがままにズボンのポケットに手を入れてみると。。え、ん?ああ!そっかそっか。思わず顔がにやける。何があったかは多分ご想像の通りです。笑。

小説家のマゾッホは、ある情婦の奴隷となり自身のファンタジー(妄想)を叶えていたらしいです。Masoch-cafeというこのカフェではマゾ体験ができるそうなので、興味ある方はどうぞ。私は彼の代表作「毛皮の着たヴィーナス」を読んでみたいと思いました。

夜はホス友とPravda Beer Theatreでビールを一杯。広場に面した人気のこのビアバーでは、連日生演奏があり賑わっています。

オリジナルビールの風刺のきいたラベルが笑えます。

はあ、リヴィヴ楽しかったなあ。15日滞在したウクライナともお別れです。

明日はいよいよベラルーシのミンスクへ向かいます。ちょうど夏休みで帰省しているという元同僚のベラルーシ人の友人と合流します。
ベラルーシは、空路入りのアライバルビザでわずか5日間しか滞在が認められていなかったのですが、なんとつい一週間前位にビザの要件が改定され、最長30日滞在出来るようになったのです。嬉しい。また世界が近くなりました。

[ウクライナ]リヴィヴ:ヘルメットかぶってコーヒーどうぞ[Ukraine] Lviv: Wear a helmet and have Coffee.

ドーブルィ デーニ!(ウクライナ語でこんにちはの意味)

カフェ文化のあるリヴィヴには、可愛いカフェや歴史香る老舗などよりどりみどりのお店があります。

だけど今日のカフェはちょっと違うのです。
ホステルで出会った、私をカザフスタン人と思っていたカザフスタン人の子と、そして別のホステルに泊まっているブラジルの友達と3人で行ってきました。

お店の名前は、Lvivska Kopalnya Kavy Coffee Manufacture

お店に入ると、地下へ案内されました。暗いです。

ヘルメットを渡され、お目当てのコーヒーを注文。

ヘルメットの謎は。。

熱く燃え盛るコーヒー!!

お値段は50フリヴニャ(約220円)。

次に向かったのは、チョコレート屋さん。

屋上のテラス席でまったり。

ホス友の友達の友達と合流するために広場へ。

何やら大きなビデオカメラを担いだ人がいて何かの(映画かな?)の撮影をしていました。

皆と合流。私もビールを一杯頂きました。38フリヴニャ(約160円)。安。

すると急に土砂降りの雨が。さっきまで晴れていたのに。

撮影クルーも雨上がり待ち

やっと雨が上がると、店を出てまた皆で目的もなく街歩き。
ライオンの街とも言われるリヴィヴのライオン達をご紹介。

銀行

明日はいよいよウクライナ最終日です。
皆に勧められたので、最後にシティウォーキングツアーに参加してこようと思っています。

[ウクライナ]リヴィヴ:ウクライナにもあったユダヤ人の歴史。そして豚肉最高! [Ukraine] History of Jewish in Lviv, Ukraine.

ドーブルィ デーニ!(ウクライナ語でこんにちはの意味)

ホス友達とご飯を食べに行くことに。何やら豚肉のリブが美味しいところらしい。
そこはArsenal Restaurant。古い歴史があるそうで、建物も雰囲気あります。

既に行列できていました。

人気店なのね。お店の前には既に行列ができていて、私達もウェイティングリストに名前を書いて並びます。

店内に入ると、大量のリブが乗ったグリルがぐるぐる回っていて、香ばしい匂いが!

薪で焼いているようです。
この手洗い場も昔からのものだそうです。
ホス友。フランスの元陸軍兵士(左)。アメリカ人のバックパッカー(右)。

手も洗ったし、エプロンもして準備オッケー。

リブきたー!

手づかみでかぶりつきます。香ばしくてジューシーで最高〜!柔らかくてソースも2種類あって、あっという間に平らげました。
少し街を歩くことに。この明るさでちなみに今、夜の8時です。

やってきたのは、Golden Rose Synagogueという、ウクライナ最古のシナゴーグ。シナゴーグとはユダヤ教のお寺のことです。

1942年にナチスによって破壊されたと記されています。

ここはユダヤ人居住区だった場所で、第二次世界大戦時には、ナチスによる残虐な行為が行われたそうです。
ウクライナに来てここでもか、とナチスの勢力範囲の広さに愕然とします。

旧ソビエトとは思えないヨーローッパ感満載のリヴィヴの街ですが、それは、過去に何度かポーランド領だった時代があったからだそうです。納得。第二次世界大戦後はソビエト領、その後ウクライナとして独立、現在に至ります。

慰霊碑の上に石を置いて慰霊をするそうです。

こうやって石を置いて慰霊するんだよ、とフランス人のホス友に促され、私もひとつの石ころを置いて目を閉じました。彼はポーランドとフランスのハーフだと話してくれました。

リヴィヴでは、数年前からユダヤ人の歴史を残そうという動きがあり、ここの慰霊碑もその活動の一環でできたそうです。

城壁

城壁内に1つ、外に1つのユダヤ地区があったそうです。

門の床には木が敷き詰められています(下写真)。これ、どこかで見たことあるけどどこだっけ。。

わかった、ルーマニアだ。下は写真はルーマニアのブカレストで撮ったものです。似てますよね。

日差しもだいぶ優しくなってきましたが、子供達は噴水で水遊びをしていました。

水遊びをする子供達。

そして、大人はサルサダンス(笑)。

路上サルサレッスン!

広場でサルサを踊っている人達がいたので、迷わず私も飛び入り参加。キエフでも踊っている人達いたけどウクライナで流行っているのかな。

この後、他のホス友達とも合流しジャズバーに行きました。

通りにいた、これはヴァレーニキという水餃子に似たウクライナの食べ物。を被った人。
あ、振り向いた。。ハ、ハーイ。

通りから路地に入った所にあるジャズバー。

今日は久しぶりの大人な日を過ごしました。

[ウクライナ]リヴィヴ: 猫カフェ[Ukraine] Lviv: Cat cafe.

ドーブルィ デーニ!(ウクライナ語でこんにちはの意味)

犬はここで待機。笑。

中に入ると、いました〜!猫!

垂れ下がっていた手に触れる
ランチも美味しかったです。

久しぶりに猫に癒された帰り道、ゴミ箱の上に横たわるぬいぐるみが。切ない。

リノック広場 Rynok Square。金曜日だからか、いつもにも増して賑わっています。

ドミニコ聖堂 Domenico Cathedral
まだ明るいですが、夜9時半です。

通りにはストリートミュージシャンも。

バスローブ集団が。笑。

バスローブを着た男性たちは、きっとバチェラーパーティのグループですね。笑。

10時前になってやっと、夜らしく暗くなってきました。

[ウクライナ]リヴィヴ: 今日はお墓観光だよ!って。。 [Ukraine] The world most beautiful cemetery Lychakiv Cemetery

ドーブルィ デーニ!(ウクライナ語でこんにちはの意味)

ここ、世界遺産の街リヴィヴでの観光で有名なものに、墓地があります。そうお墓。沖縄でいうと識名霊園が観光地になったみたいな?なんでも世界一美しい墓地と言われているそうです。

ホステルから徒歩30分。歩いていける所って好き。

Bernardine Church

お。なんかいい感じの教会。道中にあったローマカトリック教会。Bernardine Churchというそうです。けして派手ではない、重みのある雰囲気でした。

絵画みたい。

中に入ってみました。(無料)

らせん階段て何だか惹きつけられます。でもよく見ると先がない。。まさか天国への階段?
こんな可愛らしい教会も。

リチャキフ墓地に着きました。結構人がいます。チケット売り場で入場券を購入。30フリヴニャ。日本円で約123円て、ウクライナはやっぱりリーズナブルです。

かなり広そうです。

どこから進んだら良いのかわからないので、適当に進みます。

お花が綺麗

なるほど、皆個性的です。

ライオンが横たわっている
向こうの白い天使?も目をひきますね。
この方は音楽家でしょうね。
沢山のキャンドルが捧げられていました。

ひときわ多くのキャンドルで賑わうここは、有名な方のお墓らしく、ツアーグループがガイドさんからの説明を聞いていて、時折へえ〜と言っていました(多分)。残念ながらウクライナ語’(多分)だったので私には理解できず。。

後で調べると、Maria Konopnickaというポーランド人の作家で、女性の権利やポーランド独立のために戦った人のお墓でした。

Wikipediaより
これもすごいです。。

リチャキフ墓地は、ローマカトリック、プロテスタント、正教、ユダヤ教など、様々な人々が眠っているそうです。

広すぎて全部は周れませんでしたが、散歩がてらにも面白かったです。

この後30分程歩いて、ハイキャッスルというリヴィヴの街が一望できる場所に行ってみました。

ゆるい坂道を歩きます。
圧迫感満載の鉄塔。

途中、圧倒的な高さでそびえ立つ鉄塔を横目にし、先を行きます。

到着しました!さっきの鉄塔が見えます。

ハイキャッスルといってもお城の跡が残っているだけのようです。

街が一望できます。

こういう所ってどうしても人が映っちゃいますよね。私は始めの1分位待って、気にせず撮りますが。(だからこんなに毎日写真撮ってるにも関わらず技術が一向に上がらない、のだということはわかっています。)

時計を見るともう3時。そりゃあお腹空きました。旧市街に戻り、いい感じのカフェが並ぶ通りを物色していると、ラーメンが!しかも私の好きな味噌ラーメンがあるではないか!ちょっとお高め(といっても113フリヴニャ=460円)だけど、えいっと注文。

miso ramen 奥のカプチーノは36フリヴニャ(約148円)

石畳の通りに面したテラス席もいい感じです。

味は、まあこんなもんか、ウクライナだしねうんうん、という感じ。深みはないけれど美味しかったです。ちなみにこのカフェ、ハンバーガーがメインのようで、後で合流したホス友でアメリカ人のデイブは、ハンバーガーは美味しかったよと言っていました。アメリカ人が言うから間違いない。

カフェDelicateka https://www.facebook.com/delicateka/

明日は何しようかなあ。。

[ウクライナ]リヴィヴ:ロンスキー刑務所博物館 [Ukraine]Prison on Lontskogo, National Museum and Memorial to the Victims of Occupation

ドーブルィ デーニ!(ウクライナ語でこんにちはの意味)

ホステル下のカフェで食べた朝食のパンケーキ

ホステルの1階にあるカフェDruzi Cafeで朝食をとり、ロンスキー刑務所博物館(Prison on Lontskogo, National Museum and Memorial to the Victims of Occupation)へ行ってきました。近いので歩いていきます。

街を歩いていて気がついたのが、道のど真ん中に駐車されている車の列。両側にはトラムのレールがあるのですがその間に挟まれる様にして駐車されているのです。危なくないのかなと思ったけど、これがここ流の駐車場なのでしょうね。

にしてももう近くまで来ているはずなのに、博物館が見当たらない。暑いので、なんだか分からないその辺の建物の中に入ると、案の定ヒンヤリして気持ちいい。滲んだ汗が引いていく。でも今誰もいないここで襲われたらおしまいだろうなあと軽く思いながらも、ふう〜としばし休憩。

地図を確認するとやっぱりさっき通った道にあるはずだよなあと戻ると、ありました!この赤いドアが博物館でした。キエフのチェルノブイリ博物館もそうだったけど、大きな看板もなく全然目立たないので、気をつけてください。

恐る恐るドアを開けると、ひとりおじさんがいて、手招きで入れてくれました。入場は無料です。

ポーランド、ナチスドイツ、ソビエト連邦と時代時代の局面で主に政治犯を収容する刑務所として使われてきた建物です。19411年のドイツナチスによるソ連侵攻の際には、ソ連のNKVD(後のKGB)によって1000人のウクライナ人が銃殺されたと言われています。

一部、英語での説明もあります。

ウクライナの独立運動の時には、多くのウクライナ人が不当に拷問されたそうです。

ドアの小窓を除くと独房の中が見えます。
薄ら笑いの浮かべているのはレーニンかな

ソ連時代のプロパガンダのポスターなど。

カードに描かれたソ連のマーク。多分クリスマスカード。

歴史的にポーランド王国になったり、オーストリア・ハンガリー帝国になったり、ドイツに侵攻されたり、ソ連に組み込まれたり。現在独立を果たしたウクライナですが、クリミア半島はロシアに実行支配されてしまっています。

こないだ、ウクライナ人の友人オスタプに、素朴な質問なんだけどと前置きして聞いたことがあります。ウクライナはヨーロッパなの?と。
オスタプの答えはヨーロッパということでした。いつかEUにも加盟するだろうと。私の中のウクライナは旧ソ連から独立した国でどちらかというとロシア、ヨーロッパの一部だと考えたことはなかったので、私にとっては意外だったのでした。もちろん、それは私の知識不足以外のなにものでもないのですが、それを痛感しました。

沖縄もそうですが、一つの国をひとくくりにすることって結構意味のないものかも知れない。ウクライナの初日ずっとホステルまで送ってくれたオデッサ出身のイゴールに聞いたら何て言うのだろう。。

[ウクライナ] キエフからリヴィヴへ列車移動 [Ukraine] Kiev to Lviv by train

ドーブルィ デーニ!(ウクライナ語でこんにちはの意味)

首都のキエフからリヴィヴまで、列車でやってきました!チケットは予めウクライナ鉄道のウェブサイトUkranian Railwaysで購入しました。キエフ→リヴィヴまでは368フリヴニャ(約1510円)。朝 6:00発 – 11:06着 約5時間の旅でした。

キエフ駅
行き先がLvivとは読めないけど、列車番号と時間を見るとこの便で間違いないはず。しかし遅れている模様。
車内。私の席は9号車。車両内の電光掲示板に番号が表示されています。
リヴィヴ駅 Lviv Station

ここから10番のトラムでMarket Squareまで行きます。5フリヴニャ(約20円)。激安。ウクライナってしみじみお得感満載だあ。

トラム乗り場はすぐ駅を出て左側にあります。切符は運転手さんから購入しました。

打刻機がレトロで可愛い。切符を差し込んで、上のバーを下ろして打刻します。
この近くで降りました。

Market Squareでトラムを降り、ホステルまで歩いて3分くらいで到着。

今回の宿は、Dream Hostel Lviv 1泊220フリヴニャ(約906円)朝食は付いていませんが、下のカフェで食べられます。しかもオサレ。このホステル、キエフのホステルのスタッフに教えてもらったのです。彼女は元々会社でマネージャーをしていたけど、何か人と関わる仕事がしたくて最近からホステルで働き始めたと言っていました。旅好きな彼女は私の旅の話を興味深く聞いてくれました。彼女の夢が叶いますように。

マンゴーとチキンのサラダ。めっちゃ美味しくて。コーヒーと合わせて139フリヴニャ(約572円)

リヴィヴ名物のチェリー酒。ホステルで会った女の子と一緒に、隣のバーで一杯頂きました。甘くてお酒に弱い私には少し強かったです。

今日パッとみた感じのリヴィヴの印象は、キエフとは違ってまるでヨーローッパ。勝手ですが、ウクライナにはなかったイメージです。それもそのはず、昔、ポーランドの一部だった時代があったとか。

リヴィヴは小さな街なので、コンパクトな街好きな私としてはゆっくり楽しみたいと思います。(ま、いつもゆっくりだけど)

[ウクライナ]チェルノブイリ立入禁止区域へ [Ukraine] Chernobyl Exclusion Zone

ドーブルィ デーニ!(ウクライナ語でこんにちはの意味)

チェルノブイリツアーに行ってきました。
ガイドさんからは、厳密には(観光)ツアーではなく「視察」なのだと説明がありました。いくつか注意点もあるのでこのあたりも書いていきます。

  • チェルノブイリ原子力発電所事故とは
  • ツアー会社と予約
  • 事前確認フォームの提出
  • 持って行くもの
  • ツアー当日

チェルノブイリ原子力発電所事故とは

1986年4月26日1時23分、現ウクライナ(当時はソビエト連邦)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた事故。世界で最悪の原子力発電所事故の一つと言われています。

ツアー会社と予約

私が参加したツアー会社は、Chernobyl Exclusion Zone Tour。右上の言語で日本語ページに切り替えられます。

ツアー申し込みのページ

料金は、49ドル〜149ドルと幅があるので注意です。私は、思いついた翌日のツアーに参加したかったのですが、149ドルという高額にビビり、おとなしく3日後の69ドルのツアーに申し込みました。早めに計画して予約することをお勧めします。

事前確認フォームの提出

届いたメール

ウェブで申込をするとメールが届くので、そこにあるリンクから事前確認フォームに行き、氏名、生年月日、パスポート情報、国籍、電話番号などを記入し送信。

次に、メールにある”PAY”ボタンから料金の10%(今回は69ドルだったので6,9ドル)を支払います。残金はツアー当日に支払います。クレジットカードでの支払いもOKでした。

申し込み完了のメール

申し込み完了のメールが届きました。集合時間、場所、当日はパスポートを持参すること、長袖長ズボンを着用することなど、注意事項が書かれています。ここで希望者はランチを注文できます(15ドル)。また、放射線を測る線量計もレンタルできます。(10ドル)

持っていくもの

  • ツアー料金(現金orクレジットカード)
  • パスポート必須!入り口でのセキュリティーチェックがあるので、パスポートは絶対忘れないで!
  • 長袖、長ズボン着用、足を覆う靴(スニーカー等)。草むらや、がれきが散乱している所を歩くため、肌が露出するサンダルは避けたほうが良いです。

ツアー

朝7時半、集合場所のツアー会社へはウーバーで向かいました。運転手さん、慣れていないのか、危うく違う通りで降ろされるところでしたが、なんとか無事到着。

ツアー料金はクレジットカードで支払いました(現金でもOK)。ここで出会った中国在住アメリカ人のパット。一緒に来る予定だった友人が来れなくなったから良かったら彼の分のランチあげるよ、と言ってくれました。そのお友達、直前になって放射線がやっぱり不安だと行くのをやめたそう。
約8人のグループで出発です。

一応チェルノブイリツアーと言っていますが、現在も立入禁止に指定されている区域なので、観光ツアーではなく、厳密に言うと「視察」ということになっているそうです。そのため、資格を持ったガイドと一緒に行動することが義務付けられています。

ガイドさんとは現地で待ち合わせだそうです。

バンに乗り込み、いよいよチェルノブイリへ向かいます。

入り口ゲートにあったお土産屋さん

約2時間でチェルノブイリへ到着。キエフから意外に近いことに少し驚きました。

ここで待っていたガイドさんと合流します。パスポートのチェックを終え、別のバスに乗り換えます。

ガイドさんから、これから立ち入り禁止区域に入ること、バスの窓は絶対開けないこと、安全が確認されている所ではバスを降りて見学するが、滞在時間が5分とか10分と決まっているので必ず指示に従うこと、物に触れないこと、といくつかの注意がありました。
なんか緊張してきました。

驚いたのは、この禁止区域に人が住んでいることです。多くは事故処理に携わっている発電所関係者で、今日のガイドさんもガイドの仕事の為に週1の割合で宿泊しているそうです。
居住者の為に、キエフから週一で食料品や日用品を売るトラックが来るそうで、キエフからの定期列車も走っていて駅もあるそうです。

これ誰かわかりますか。そう、ソビエトの革命家レーニンです。

ソビエトからの独立後、全て残らず破壊されたはずのレーニン像ですがなぜかこの像だけ今も残っています。
その理由は、チェルノブイリ原発事故で放射線に侵されてしまったため、破壊することも持ち出すことも出来ず、図らずもウクライナ国内に残る唯一のレーニン像となったのだそうです。

意外にこじんまりとした像でした。
これはオフィスだそう。

レーニン像の近くに人懐っこいワンちゃんがいました。

バスの中から撮った写真

バスを走らせRed forest (赤い森)という一帯に入リました。事故当時、放射線で汚染された風によって森が赤く染まってしまったそうです。

今でもこの辺りは赤いままです。

プリピャチ(Pripyat)という街に来ました。1970年、チェルノブイリで働く労働者や科学者が住む場所として開発され、当時としては新興的な街で、最新の建物や洒落たレストランなどもあり、発電所で働く人々は高給取りで、チェルノブイリの人々の憧れの街だったのだそうです。

レストラン
レストランの前にあったウォータークーラー。

上の写真の水の自販機だそうです。ウクライナの人達にとっては、昔懐かしい物だそうです。

向こう側に見える建物は崩壊して今にも沈みそうです。

ガイドさんに言われるまま、グループの一人が、持っていた線量計を水たまりに近づけると、線量計の針が大きく振れました。放射線物質は水と動く性質があるため、こういった水たまりには今もまだ高い放射物質が残っているのだそうです。

音楽学校

音楽学校だったという建物。壁には斬新デザインが施されていて、当時のきらびやかな様子が想像できます。

放置されたピアノ
スーパーマーケット

天井から下がる陳列棚の案内板。カートも残されていました。

体育館
プール。水面には水苔が生えています。
遊園地

この遊園地は、原発事故の5日後にオープンする予定だったそうです。しかし事故のため一度も使われることなくそのまま廃墟となってしまいました。現実感が伴わず不思議な光景です。

本格的なジャンプ台を備えたプール。人の大きさと比較するとその大きさがわかります。
大量のガスマスク
教室
野良キツネ

犬かと思ったらキツネが!警戒しながらもエサ欲しさに近づいてきました。野良キツネ。

爆発が起きた原子力発電所。慰霊碑が建っています。

爆発事故現場の発電所に来ました。1986年4月26日夜中の1時24分、爆発は動作確認の試運転中に起きました。爆発の規模は広島原爆の500倍とも言われているそうです。現在は放射線を閉じ込めるためドーム型の建物で覆われています。

事故直後、放射線に汚染された雨が風に乗ってイタリアやアイルランドなどヨーローッパ全土に降ったそうです。

ソビエト司令センター。旧ソビエトの星のマークがあります。
Secret Duga Radar. 秘密の巨大レーダー。

凄かったのがこの巨大レーダー。さっきの司令センターとともに、秘密軍事基地の一部として、冷戦時代、飛来物(アメリカの飛行機とか)などの監視や情報収集がここでされていたそうですが、気づかれないように当時の地図ではサマーキャンプと表示されていたそうです。

鉄塔の大きさは、幅180メートル高さ150メートル!上写真の左下にいる、小さな人間が見えますか。こんなにも無機質でこんなにも巨大な人工物は見たことがありません。人間の執念を感じます。背筋が凍る様な恐怖を覚える一方で、圧倒的な存在感になんとも言い難い、感動にも似た感覚を覚えました。

レーダーの隣りにあったここは軍事施設だったそう。長い長い廊下が続きます。
博物館

小さな博物館もありました。

この後、レストランでランチを取りました。15ドルの割に簡単なランチでしたがお腹が空いていたのでランチを譲ってくれたパットに感謝。お礼にアイスクリームをおごりました。

チェルノブイリと書かれています。
最後に線量計を通ります。

最後に、線量を測るゲートを通りツアーは終了です。

チェルノブイリ原発事故。住民に知らされたのはその翌日。一時的な避難だから荷物は三日分で良いと言われていたそうです。しかし二度と戻ることはなく現在に至ります。

明日は、ウクライナとポーランドの国境にある街リヴィヴ(Lviv)まで列車移動します。

初日にバスで出会ったイゴールの住むオデッサ行きも考えたのですが、ウクライナの後、ポーランドのワルシャワか、あるいはベラルーシに行こうと思っているので、反対方向のオデッサには行かず、北上することにしました。リヴィヴは人気の街らしいので、楽しみで

[ウクライナ]街歩きのクライマックスはバンジージャンプ![Ukraine]City walk to the Bungee jumping!

ドーブルィ デーニ!(ウクライナ語でこんにちはの意味)

インドで出会ったウクライナ人の友人オスタプと待ち合わせ。お友達も連れてくるらしい。

待ち合わせのメトロのPalats Ukraina駅前

連れてきたお友達は、香港から夏休みで来たというセイディ。彼女とも旅で出会ったらしい。こういうのいいな。旅友の輪が広がる。

今日の街歩きルート。Palats Ukraina駅前Parkovy橋まで
St. Nicholas Roman Catholic Cathedral 聖ニコラスローマカトリック大聖堂

カトリックの大聖堂で結婚式をしていました。そっか今日日曜日だからね。ヨーローッパに入ってから、週末になるとよく見る光景です。

メンズクラブ

そしてキエフの街でちらちら見かけるのが、メンズクラブ。オスタプに聞くと、その正体はやっぱりストリップクラブだとのこと。自分は行かないが(Realy?笑)、魅力的なウクライナの女性を目当てに観光客も多いよ、と言っていました。

確かにウクライナの女性とか東欧の女性って綺麗な人多いよねー、それに皆スリムだし!と言うと、「ウクライナは貧乏で満足に食べられないからな」という自虐ジョークで返されたので笑っておきました。

メンズクラブを素通りし、今日の目的のアートセンターに到着。

Pinchuk Art Centre

この美術館、モダンで先鋭的な展示物が多く面白かったです。しかも入場料無料!

この日はDEMOCRACY ANEW?と題された特別展をやっていました。

その中でも面白かったのがこのピアノ。なぜか真ん中に謎の丸い穴が。

真ん中に穴が

謎の穴とは、こういうことでした。

1:50頃からピアノと歩きます。

演奏されていたのは、ベートーベン作曲第九の歓喜の歌。日本でもおなじみの曲ですが、1989年のベルリンの壁崩壊後、次々に起きた東欧革命を象徴する曲として知られているのだそうです。
ベルリン崩壊はここでも歴史を大きく変えた出来事だったんですね。1991年にはウクライナも独立を実現させました。

Khreshchatyk通りは歩行者天国になって、ストリートパフォーマーもいて、道路の両側にあるお店のテラスは多くの人で賑わっています。

Khreshchatyk通り

独立広場まで来ました。

ウクライナ伝統音楽を奏でるストリートパフォーマー

ウクライナの伝統的な服と踊りだそうです。

セイディとオスタプの後ろに見えるのは、ソ連時代からある有名なウクライナホテル。

独立広場からさらに歩きます。

Friendship of Nations Arch 友情のメモリアルアーチ

このメモリアルアーチ、一時はレインボーカラーにライトアップされていたそうですが、LGBTを思わせる色だと議論になったそうです。ウクライナではまだLGBTに対する抵抗が大きいらしいです。ウクライナ正教のクリスチャンであるオスタプ曰く、人は人だから問題ないけど個人的にはLGBTには同意しないと言っていました。

ここからはドニエプル川(Dnieper river)も見えます。

ビーチ

お!あそこに見えるのはビーチでは!行ってみようよ〜!とセイディと私は盛り上がります。

実はここでもう一人オスタプのお友達(女性)と合流したのですが、彼女とセイディの間に緊張した空気が流れ始め。。あれ、お互いをけん制し合ってる?するとセイディは無害の私にくっ付いてきて、ビーチまでは遠いよと言うオスタプを無視して、全然歩けるから〜と盛り上がるのでした。

階段を降りるとParkovy橋はもう目の前です。

Parkovy 橋は歩行者専用の橋です。

こないだ行った時は閑散としていたけど、今日は賑やかです。

そしてここでビーチに行くはずだったのですが、なんとセイディが橋からジャンプすることに!この橋では週末になると、バンジージャンプが体験できるのです。

セイディ人生初のバンジージャンプ。イライラ感情を見事にポジティブなチャレンジに変換した彼女。凄いなあ。

私はといと。。見るだけでもドキドキするのに無理無理。

もう一人のお友達に写真を撮ってもらいました。そういえばキエフに来て初めて見る夕日かも。飛行機雲に今気がつきました。

[ウクライナ]チェルノブイリ博物館、そして初めて知ったホロドモールのこと [Ukraine]Ukrainian National Chernobyl Museum and the Holodomor that I didn’t know.

ドーブルィ デーニ!(ウクライナ語でこんにちはの意味)

いきなりですが、チェルノブイリってウクライナだったんですね。

チェルノブイリ=ソ連とインプットされていたので、すぐには結びつかず。よく考えると、原発事故当時のウクライナはまだソビエト連邦の一部だったんですね。なるほど。
ということで、市内にある国立チェルノブイリ博物館に行ってきました。

国立チェルノブイリ博物館

博物館は、ホステルから徒歩10分程の場所にあります。

国立チェルノブイリ博物館

あのチェルノブイリの博物館だから大きくて人も多いのだろうと思っていたけれど、目立った看板などもなく、一瞬どこから入るのか戸惑うくらいひっそりと建っていました。

入口
入口にあったリンゴの木?の絵。

入場料は50フリヴニャ(約200円)。オーディオガイド(20フリヴニャ(約80円))は日本語もありました。オーディオガイドを借りる場合はデポジットとして100フリヴニャも合わせて払います。100フリヴニャは退館する時に返却してもらえます。クレジットカードは使えないので、現金必須です。

入口を入るとすぐ横に、福島第一原発事故の展示がありました。

階段を上った先に、常設の博物館があります。

事故の瞬間を刻み止まった時計

今から32年前の1986年4月26日午後1時23分、史上最悪と言われるチェルノブイリ原発事故は起こりました。

事故を報じる1986年4月29日付けのニューヨークタイムズ

しかし、その事実が世界に報じられたのは、事故発生から3日経った4月29日だったそうです。

広島と長崎の原爆についての展示もありました。

ビデオ機器の隅に貼られていたステッカー。日本から寄付されたものでしょうか。
博物館の前に展示された当時の車両

国立の博物館という割にこじんまりした博物館で、オーディオガイドと展示番号が分かりづらい点もありましたが、特にチェルノブイリツアーに行く方は予習のためにもオーディオガイドをお勧めします。

そのチェルノブイリの現場を訪れる視察ツアーについて、受付で分かるかと思い聞いてみましが、あまり英語が通じずツアー情報は得られず。

ホステルに帰り、ネットで見つけたツアーに申し込みました。明日にでも参加したかったのですが、明日のツアー料金149ドルが3日後だとなんと69ドルだったので、キエフの滞在を延長することにして、3日後のツアーに申し込みました。

ペチェールスカ大修道院(Kiev Pechersk Lavra)

午後からは、メトロに乗ってペチェールスカ大修道院(Kiev Pechersk Lavra)へ。Lavraとは洞窟という意味で、修道院内にあるそうです。

入場料は30フリヴニャ(約125円)。洞窟への入場は別料金だったので、私は入りませんでした。

大聖堂の中に入っていく女性は皆、頭にスカーフをかぶっていました。正教会ではこれがマナーだそうです。

ユダヤ教もイスラム教も正教会も、女性が髪を隠すのは同じなんですね。どれもユダヤ教が派生した宗教だからってことなんですかね。

ここから見るとクーポラ(っていうらしいです。タマネギ型の屋根のこと)に圧倒されます。

ホロドモールの慰霊碑

大聖堂の後、何気なく行った公園で見たこの慰霊塔。ホロドモールの犠牲者を弔うものだそうです。

ホロドモールって。。?

ろうそくの形をした慰霊塔

ホロドモールとは、1932年から33年に起こされた人工的な大飢饉。人工的って、意図的にってこと?なぜ何のために。。

ホロドモール(Holodomor)とは、レーニン政権下のソビエト連邦によるウクライナ独立を阻止するため、意図的に起こされた大飢饉だそうです。ウクライナ住民は強制的に大量の小麦をソビエト政府に納めさせられたため、多くが餓死したのです。犠牲者の数は600-700万人と言われていますが、ソ連が長い間事実を隠していたことなどからはっきりとした数は不明で、一説では1000万人を超すとも言われているそうです。町の至る所に息絶えた人達がそのまま転がっている悲惨で異常な状況で、飢えに苦しむ人々の中には死体に手をつけてしまうほど追い詰められてしまった人もいたそうです。

慰霊碑の前にあった少女の銅像。

やせ細り途方にくれている様に見える少女。

そうだったのか。この間ウォーキングツアーで会った女性が話していたことが、今やっと理解できました。その女性はアメリカ在住ウクライナ人で、ある人に人肉を食べたことあるかと聞かれてすごく侮辱に感じたわ、という差別体験を話してくれていたのです。

今日初めて知ったウクライナで起きた大虐殺ジェノサイド。日本で聞いたことないなあ。というのもひた隠しにされていた過去がある様です。
ホロコーストやポル・ポト派による虐殺やルワンダ大虐殺と並ぶ20世紀最大の悲劇と言われているそうです。