[ウクライナ] キエフからリヴィヴへ列車移動 [Ukraine] Kiev to Lviv by train

ドーブルィ デーニ!(ウクライナ語でこんにちはの意味)

首都のキエフからリヴィヴまで、列車でやってきました!チケットは予めウクライナ鉄道のウェブサイトUkranian Railwaysで購入しました。キエフ→リヴィヴまでは368フリヴニャ(約1510円)。朝 6:00発 – 11:06着 約5時間の旅でした。

キエフ駅
行き先がLvivとは読めないけど、列車番号と時間を見るとこの便で間違いないはず。しかし遅れている模様。
車内。私の席は9号車。車両内の電光掲示板に番号が表示されています。
リヴィヴ駅 Lviv Station

ここから10番のトラムでMarket Squareまで行きます。5フリヴニャ(約20円)。激安。ウクライナってしみじみお得感満載だあ。

トラム乗り場はすぐ駅を出て左側にあります。切符は運転手さんから購入しました。

打刻機がレトロで可愛い。切符を差し込んで、上のバーを下ろして打刻します。
この近くで降りました。

Market Squareでトラムを降り、ホステルまで歩いて3分くらいで到着。

今回の宿は、Dream Hostel Lviv 1泊220フリヴニャ(約906円)朝食は付いていませんが、下のカフェで食べられます。しかもオサレ。このホステル、キエフのホステルのスタッフに教えてもらったのです。彼女は元々会社でマネージャーをしていたけど、何か人と関わる仕事がしたくて最近からホステルで働き始めたと言っていました。旅好きな彼女は私の旅の話を興味深く聞いてくれました。彼女の夢が叶いますように。

マンゴーとチキンのサラダ。めっちゃ美味しくて。コーヒーと合わせて139フリヴニャ(約572円)

リヴィヴ名物のチェリー酒。ホステルで会った女の子と一緒に、隣のバーで一杯頂きました。甘くてお酒に弱い私には少し強かったです。

今日パッとみた感じのリヴィヴの印象は、キエフとは違ってまるでヨーローッパ。勝手ですが、ウクライナにはなかったイメージです。それもそのはず、昔、ポーランドの一部だった時代があったとか。

リヴィヴは小さな街なので、コンパクトな街好きな私としてはゆっくり楽しみたいと思います。(ま、いつもゆっくりだけど)

[ウクライナ]チェルノブイリ立入禁止区域へ [Ukraine] Chernobyl Exclusion Zone

ドーブルィ デーニ!(ウクライナ語でこんにちはの意味)

チェルノブイリツアーに行ってきました。
ガイドさんからは、厳密には(観光)ツアーではなく「視察」なのだと説明がありました。いくつか注意点もあるのでこのあたりも書いていきます。

  • チェルノブイリ原子力発電所事故とは
  • ツアー会社と予約
  • 事前確認フォームの提出
  • 持って行くもの
  • ツアー当日

チェルノブイリ原子力発電所事故とは

1986年4月26日1時23分、現ウクライナ(当時はソビエト連邦)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた事故。世界で最悪の原子力発電所事故の一つと言われています。

ツアー会社と予約

私が参加したツアー会社は、Chernobyl Exclusion Zone Tour。右上の言語で日本語ページに切り替えられます。

ツアー申し込みのページ

料金は、49ドル〜149ドルと幅があるので注意です。私は、思いついた翌日のツアーに参加したかったのですが、149ドルという高額にビビり、おとなしく3日後の69ドルのツアーに申し込みました。早めに計画して予約することをお勧めします。

事前確認フォームの提出

届いたメール

ウェブで申込をするとメールが届くので、そこにあるリンクから事前確認フォームに行き、氏名、生年月日、パスポート情報、国籍、電話番号などを記入し送信。

次に、メールにある”PAY”ボタンから料金の10%(今回は69ドルだったので6,9ドル)を支払います。残金はツアー当日に支払います。クレジットカードでの支払いもOKでした。

申し込み完了のメール

申し込み完了のメールが届きました。集合時間、場所、当日はパスポートを持参すること、長袖長ズボンを着用することなど、注意事項が書かれています。ここで希望者はランチを注文できます(15ドル)。また、放射線を測る線量計もレンタルできます。(10ドル)

持っていくもの

  • ツアー料金(現金orクレジットカード)
  • パスポート必須!入り口でのセキュリティーチェックがあるので、パスポートは絶対忘れないで!
  • 長袖、長ズボン着用、足を覆う靴(スニーカー等)。草むらや、がれきが散乱している所を歩くため、肌が露出するサンダルは避けたほうが良いです。

ツアー

朝7時半、集合場所のツアー会社へはウーバーで向かいました。運転手さん、慣れていないのか、危うく違う通りで降ろされるところでしたが、なんとか無事到着。

ツアー料金はクレジットカードで支払いました(現金でもOK)。ここで出会った中国在住アメリカ人のパット。一緒に来る予定だった友人が来れなくなったから良かったら彼の分のランチあげるよ、と言ってくれました。そのお友達、直前になって放射線がやっぱり不安だと行くのをやめたそう。
約8人のグループで出発です。

一応チェルノブイリツアーと言っていますが、現在も立入禁止に指定されている区域なので、観光ツアーではなく、厳密に言うと「視察」ということになっているそうです。そのため、資格を持ったガイドと一緒に行動することが義務付けられています。

ガイドさんとは現地で待ち合わせだそうです。

バンに乗り込み、いよいよチェルノブイリへ向かいます。

入り口ゲートにあったお土産屋さん

約2時間でチェルノブイリへ到着。キエフから意外に近いことに少し驚きました。

ここで待っていたガイドさんと合流します。パスポートのチェックを終え、別のバスに乗り換えます。

ガイドさんから、これから立ち入り禁止区域に入ること、バスの窓は絶対開けないこと、安全が確認されている所ではバスを降りて見学するが、滞在時間が5分とか10分と決まっているので必ず指示に従うこと、物に触れないこと、といくつかの注意がありました。
なんか緊張してきました。

驚いたのは、この禁止区域に人が住んでいることです。多くは事故処理に携わっている発電所関係者で、今日のガイドさんもガイドの仕事の為に週1の割合で宿泊しているそうです。
居住者の為に、キエフから週一で食料品や日用品を売るトラックが来るそうで、キエフからの定期列車も走っていて駅もあるそうです。

これ誰かわかりますか。そう、ソビエトの革命家レーニンです。

ソビエトからの独立後、全て残らず破壊されたはずのレーニン像ですがなぜかこの像だけ今も残っています。
その理由は、チェルノブイリ原発事故で放射線に侵されてしまったため、破壊することも持ち出すことも出来ず、図らずもウクライナ国内に残る唯一のレーニン像となったのだそうです。

意外にこじんまりとした像でした。
これはオフィスだそう。

レーニン像の近くに人懐っこいワンちゃんがいました。

バスの中から撮った写真

バスを走らせRed forest (赤い森)という一帯に入リました。事故当時、放射線で汚染された風によって森が赤く染まってしまったそうです。

今でもこの辺りは赤いままです。

プリピャチ(Pripyat)という街に来ました。1970年、チェルノブイリで働く労働者や科学者が住む場所として開発され、当時としては新興的な街で、最新の建物や洒落たレストランなどもあり、発電所で働く人々は高給取りで、チェルノブイリの人々の憧れの街だったのだそうです。

レストラン
レストランの前にあったウォータークーラー。

上の写真の水の自販機だそうです。ウクライナの人達にとっては、昔懐かしい物だそうです。

向こう側に見える建物は崩壊して今にも沈みそうです。

ガイドさんに言われるまま、グループの一人が、持っていた線量計を水たまりに近づけると、線量計の針が大きく振れました。放射線物質は水と動く性質があるため、こういった水たまりには今もまだ高い放射物質が残っているのだそうです。

音楽学校

音楽学校だったという建物。壁には斬新デザインが施されていて、当時のきらびやかな様子が想像できます。

放置されたピアノ
スーパーマーケット

天井から下がる陳列棚の案内板。カートも残されていました。

体育館
プール。水面には水苔が生えています。
遊園地

この遊園地は、原発事故の5日後にオープンする予定だったそうです。しかし事故のため一度も使われることなくそのまま廃墟となってしまいました。現実感が伴わず不思議な光景です。

本格的なジャンプ台を備えたプール。人の大きさと比較するとその大きさがわかります。
大量のガスマスク
教室
野良キツネ

犬かと思ったらキツネが!警戒しながらもエサ欲しさに近づいてきました。野良キツネ。

爆発が起きた原子力発電所。慰霊碑が建っています。

爆発事故現場の発電所に来ました。1986年4月26日夜中の1時24分、爆発は動作確認の試運転中に起きました。爆発の規模は広島原爆の500倍とも言われているそうです。現在は放射線を閉じ込めるためドーム型の建物で覆われています。

事故直後、放射線に汚染された雨が風に乗ってイタリアやアイルランドなどヨーローッパ全土に降ったそうです。

ソビエト司令センター。旧ソビエトの星のマークがあります。
Secret Duga Radar. 秘密の巨大レーダー。

凄かったのがこの巨大レーダー。さっきの司令センターとともに、秘密軍事基地の一部として、冷戦時代、飛来物(アメリカの飛行機とか)などの監視や情報収集がここでされていたそうですが、気づかれないように当時の地図ではサマーキャンプと表示されていたそうです。

鉄塔の大きさは、幅180メートル高さ150メートル!上写真の左下にいる、小さな人間が見えますか。こんなにも無機質でこんなにも巨大な人工物は見たことがありません。人間の執念を感じます。背筋が凍る様な恐怖を覚える一方で、圧倒的な存在感になんとも言い難い、感動にも似た感覚を覚えました。

レーダーの隣りにあったここは軍事施設だったそう。長い長い廊下が続きます。
博物館

小さな博物館もありました。

この後、レストランでランチを取りました。15ドルの割に簡単なランチでしたがお腹が空いていたのでランチを譲ってくれたパットに感謝。お礼にアイスクリームをおごりました。

チェルノブイリと書かれています。
最後に線量計を通ります。

最後に、線量を測るゲートを通りツアーは終了です。

チェルノブイリ原発事故。住民に知らされたのはその翌日。一時的な避難だから荷物は三日分で良いと言われていたそうです。しかし二度と戻ることはなく現在に至ります。

明日は、ウクライナとポーランドの国境にある街リヴィヴ(Lviv)まで列車移動します。

初日にバスで出会ったイゴールの住むオデッサ行きも考えたのですが、ウクライナの後、ポーランドのワルシャワか、あるいはベラルーシに行こうと思っているので、反対方向のオデッサには行かず、北上することにしました。リヴィヴは人気の街らしいので、楽しみで

[ウクライナ]街歩きのクライマックスはバンジージャンプ![Ukraine]City walk to the Bungee jumping!

ドーブルィ デーニ!(ウクライナ語でこんにちはの意味)

インドで出会ったウクライナ人の友人オスタプと待ち合わせ。お友達も連れてくるらしい。

待ち合わせのメトロのPalats Ukraina駅前

連れてきたお友達は、香港から夏休みで来たというセイディ。彼女とも旅で出会ったらしい。こういうのいいな。旅友の輪が広がる。

今日の街歩きルート。Palats Ukraina駅前Parkovy橋まで
St. Nicholas Roman Catholic Cathedral 聖ニコラスローマカトリック大聖堂

カトリックの大聖堂で結婚式をしていました。そっか今日日曜日だからね。ヨーローッパに入ってから、週末になるとよく見る光景です。

メンズクラブ

そしてキエフの街でちらちら見かけるのが、メンズクラブ。オスタプに聞くと、その正体はやっぱりストリップクラブだとのこと。自分は行かないが(Realy?笑)、魅力的なウクライナの女性を目当てに観光客も多いよ、と言っていました。

確かにウクライナの女性とか東欧の女性って綺麗な人多いよねー、それに皆スリムだし!と言うと、「ウクライナは貧乏で満足に食べられないからな」という自虐ジョークで返されたので笑っておきました。

メンズクラブを素通りし、今日の目的のアートセンターに到着。

Pinchuk Art Centre

この美術館、モダンで先鋭的な展示物が多く面白かったです。しかも入場料無料!

この日はDEMOCRACY ANEW?と題された特別展をやっていました。

その中でも面白かったのがこのピアノ。なぜか真ん中に謎の丸い穴が。

真ん中に穴が

謎の穴とは、こういうことでした。

1:50頃からピアノと歩きます。

演奏されていたのは、ベートーベン作曲第九の歓喜の歌。日本でもおなじみの曲ですが、1989年のベルリンの壁崩壊後、次々に起きた東欧革命を象徴する曲として知られているのだそうです。
ベルリン崩壊はここでも歴史を大きく変えた出来事だったんですね。1991年にはウクライナも独立を実現させました。

Khreshchatyk通りは歩行者天国になって、ストリートパフォーマーもいて、道路の両側にあるお店のテラスは多くの人で賑わっています。

Khreshchatyk通り

独立広場まで来ました。

ウクライナ伝統音楽を奏でるストリートパフォーマー

ウクライナの伝統的な服と踊りだそうです。

セイディとオスタプの後ろに見えるのは、ソ連時代からある有名なウクライナホテル。

独立広場からさらに歩きます。

Friendship of Nations Arch 友情のメモリアルアーチ

このメモリアルアーチ、一時はレインボーカラーにライトアップされていたそうですが、LGBTを思わせる色だと議論になったそうです。ウクライナではまだLGBTに対する抵抗が大きいらしいです。ウクライナ正教のクリスチャンであるオスタプ曰く、人は人だから問題ないけど個人的にはLGBTには同意しないと言っていました。

ここからはドニエプル川(Dnieper river)も見えます。

ビーチ

お!あそこに見えるのはビーチでは!行ってみようよ〜!とセイディと私は盛り上がります。

実はここでもう一人オスタプのお友達(女性)と合流したのですが、彼女とセイディの間に緊張した空気が流れ始め。。あれ、お互いをけん制し合ってる?するとセイディは無害の私にくっ付いてきて、ビーチまでは遠いよと言うオスタプを無視して、全然歩けるから〜と盛り上がるのでした。

階段を降りるとParkovy橋はもう目の前です。

Parkovy 橋は歩行者専用の橋です。

こないだ行った時は閑散としていたけど、今日は賑やかです。

そしてここでビーチに行くはずだったのですが、なんとセイディが橋からジャンプすることに!この橋では週末になると、バンジージャンプが体験できるのです。

セイディ人生初のバンジージャンプ。イライラ感情を見事にポジティブなチャレンジに変換した彼女。凄いなあ。

私はといと。。見るだけでもドキドキするのに無理無理。

もう一人のお友達に写真を撮ってもらいました。そういえばキエフに来て初めて見る夕日かも。飛行機雲に今気がつきました。

[ウクライナ]チェルノブイリ博物館、そして初めて知ったホロドモールのこと [Ukraine]Ukrainian National Chernobyl Museum and the Holodomor that I didn’t know.

ドーブルィ デーニ!(ウクライナ語でこんにちはの意味)

いきなりですが、チェルノブイリってウクライナだったんですね。

チェルノブイリ=ソ連とインプットされていたので、すぐには結びつかず。よく考えると、原発事故当時のウクライナはまだソビエト連邦の一部だったんですよね。ということで、市内にある国立チェルノブイリ博物館に行ってきました。

国立チェルノブイリ博物館

博物館は、ホステルから徒歩10分程の場所にあります。

国立チェルノブイリ博物館

あのチェルノブイリの博物館だから大きくて人も多いのだろうと思っていたけれど、目立った看板などもなく、一瞬どこから入るのか戸惑うくらいひっそりと建っていました。

入口
入口にあったリンゴの木?の絵。

入場料は50フリヴニャ(約200円)。オーディオガイド(20フリヴニャ(約80円))は日本語も対応していました。オーディオガイドを借りる場合はデポジットとして100フリヴニャも合わせて払います。退館する時に返却してもらえます。クレジットカードは使えないので、現金必須です。

入口を入るとすぐ横に、福島第一原発事故の展示がありました。

階段を上った先に、常設の博物館があります。いよいよ入ります。

事故の瞬間を刻み止まった時計

今から32年前の1986年4月26日午後1時23分、史上最悪と言われるチェルノブイリ原発事故は起こりました。

事故を報じる1986年4月29日付けのニューヨークタイムズ

しかし、その事実が世界に報じられたのは、事故発生から3日経った4月29日だったそうです。

広島と長崎の原爆についての展示もありました。

ビデオ機器の隅に貼られていたステッカー。日本から寄付されたものでしょうか。
博物館の前に展示された当時の車両

国立の博物館という割にこじんまりした博物館で、オーディオガイドと展示番号が照合しづらい点もありましたが、チェルノブイリツアーに行く方は、予習のためにもオーディオガイドを借りて見ることをお勧めします。

チェルノブイリの現場を訪れる視察ツアーについて、ここならきっと情報があると思い受付カウンターで聞いてみましが、あまり英語が通じずツアー情報も得られず。

ホステルに帰り、ネットで見つけたツアーに申し込みました。明日にでも参加したかったのですが、明日のツアー料金149ドルが3日後だとなんと69ドルだったので、キエフの滞在を延長することにして、安い3日後のツアーに申し込みました。

ペチェールスカ大修道院(Kiev Pechersk Lavra)

午後からは、メトロに乗ってペチェールスカ大修道院(Kiev Pechersk Lavra)へ。Lavraとは洞窟という意味で、修道院内にあるそうです。

入場料は30フリヴニャ(約125円)。洞窟への入場は別料金だったので、入りませんでした。

大聖堂の中に入っていく女性は皆、頭にスカーフをかぶっていました。正教会ではこれがマナーだそうです。

ユダヤ教もイスラム教も正教会も、女性が髪を隠すのは同じなんですね。どれもユダヤ教が派生した宗教だからってことなんですかね。

ここから見るとクーポラ(っていうらしいです。タマネギ型の屋根のこと)に圧倒されます。

ホロドモールの慰霊碑

大聖堂の後、何気なく行った公園で見たこの慰霊塔。ホロドモールの犠牲者を弔うものだそうです。

ホロドモールって。。?初めて聞いた。

ろうそくの形をした慰霊塔

ホロドモールとは、1932年から33年に起こされた人工的な大飢饉。人工的って、え、人が意図的に飢饉を起こしたってこと?なんで?何のために。。

ホロドモール(Holodomor)とは、レーニン政権下のソビエト連邦によるウクライナ独立を阻止するため、意図的に起こされた大飢饉だそうです。ウクライナ住民は強制的に大量の小麦をソビエト政府に納めさせられたため、多くが餓死したのです。犠牲者の数は600万〜700万人と言われていますが、ソ連が長い間事実を隠していたことなどからはっきりとした数は不明で、一説では1000万人を超すとも言われているそうです。町の至る所に息絶えた人達がそのまま転がっている悲惨で異常な状況で、飢えに苦しむ人々の中には死体に手をつけてしまうほど追い詰められてしまった人もいたそうです。

慰霊碑の前にあった少女の銅像。

やせ細り途方にくれている様に見える少女。

そうだったのか。この間ウォーキングツアーで会った女性が話していたことが、今やっと理解できました。その女性はアメリカ在住ウクライナ人で、ある人に人肉を食べたことあるかと聞かれてすごく侮辱に感じたわ、という差別体験を話してくれていたのです。

今日初めて知ったウクライナで起きた大虐殺ジェノサイド。日本で聞いたことないなと思ったというのも、世界にひた隠しにされていた過去がある様です。
ホロコーストやポル・ポト派による虐殺やルワンダ大虐殺と並ぶ20世紀最大の悲劇と言われているそうです。

[ウクライナ]キエフ:街歩き、びっくりメトロ、旅友と再会 [Ukraine] Walking Tour, surprising metro, and reunite with friend.

ドーブルィ デーニ!(ウクライナ語でこんにちはの意味)

今日は盛り沢山な一日でした。

1.キエフフリーウォーキングツアー

2.キエフのメトロ(地下鉄)がびっくり

3.インドで出会ったウクライナ人の友人と再会

キエフフリーウォーキングツアー

ホステルから集合場所の独立広場(Independence Square)まで40分超、散策がてら歩きます。

教会The Pyrohoshcha Dormition of the Mother of God Church

ずいぶんとシンプルな外観。

なんだろう?水飲み場かなあ。

こじ開けたライオンの口から水が出ている。迫力。Samson and the Lionと呼ばれる水場でした。

ここから上り坂になってきました。

ミーティングポイントの独立広場に到着しました。Maiden広場とも言われています。ストリートがこの広場に向かっていることからも、ここがキエフの中心地だということがわかります。有名な2004年のオレンジ革命では、ここに国民が集まり声を上げたそうです。

独立広場を中心に放射状に広がるストリート
Independence Square 独立広場

広場にあるこの地球のモニュメント。ガイドさんの話によると、以前のウクライナでは、南北のアメリカを一つとして数えて、「五大陸」として習ったらしいです。

モニュメントの下の方には、世界の各都市までの距離が書かれています。東京までは8207km。

広場の下には地下街があり、ショッピングやレストランもあるそうです。

Independence Monument. 独立記念塔。(上が切れてる。。)

独立記念塔。2001年、1991年のソ連からの独立10周年を記念して、独立広場の再建と同時に建てられた記念塔です。この場所には以前はレーニン像があったそうです。
ちなみに、独立後ウクライナ国内にあったレーニン像の一切が全て破壊されました。
ある場所にあるひとつを除いては。。それについては後日。。

地球のモニュメントの反対側にあるゲート
聖ミハイルの黄金ドーム修道院 St. Michael’s Golden-Domed Monastery

聖ミハイルの黄金ドーム修道院。正教会の修道院。世界で初めて金で作られたドームだそうです。

聖ミハイルの黄金ドーム修道院

青と金色が眩しいです。ウクライナ色ですね。

ウクライナの国旗

というのはこのウクライナの国旗。いたってシンプル。青は空の青。黄色は豊かに実る小麦を表しているのだそうです。なんだか平和な大地って感じで好きです。

綺麗なお花が飾られています。

1999年に修復された建物の中に入ると、正教会らしく荘厳で美しいイコン画に圧倒されます。

キャンドルの灯り
びっしり壁いっぱいに描かれたイコン画
政府庁舎。歩いている人と比べるとその巨大さがわかります。

次に来たのは、この巨大な建物。政府庁舎となっているここは、旧ソビエト時代の建物だそうです。旧ソビエトの建物ってなぜこんなにも巨大なのでしょうか。見るものを圧倒させるため?単に土地が広いから?

キエフにある旧ソビエト時代の建物の多くが、第二次世界大戦時、ナチスが来る前にソビエト軍自身によって破壊されたそうですが、この建物は残ったそうです。(中には、ドイツ軍に占拠されたしまった為に破壊せざるを得なかったというのもある様です。)

中庭から見た庁舎。
St. Andrew’s Church 聖アンドリュー教会

18世紀に建てられた聖アンドリュー教会。ウクライナ正教の教会です。坂の上に構えられているからか、迫力があります。1939年には、宗教を禁じていたソビエト政府によって無神論者博物館として使われていたそうですが、1941年のドイツ政権下で教会に戻されたそうです。

黄金の門

古代キエフ大公国時代のキエフへの入り口だった、黄金の門。ヤロスラフ1世によって建てられたそう。

The man with Kiev cake ヤロスラフ1世

門の側にヤロスラフ1世の銅像があるのですが、その手に持っているのはケーキ。じゃなくて、聖ソフィア大聖堂ですが、ケーキに見えることから地元の人々には”The man with Kiev Cake”と呼ばれているそう。笑。

メトロ(地下鉄)がびっくり

ここでツアーは終了です。メトロに乗って、休憩がてら目をつけておいたカフェに行ってきます。黄金の門の側にあるZoloti vorota駅から出発。

これは別の駅の写真ですが、駅の入り口は大体こんな感じの手動のドアがあり、そこから構内に入ります。

チケット売り場

トークンというコインを購入します。料金は距離に関わらず、一律8フリヴニャ(約33円)です。

改札口でトークンを投入します。トークンは返ってきません。駅を出るときには何もせずそのまま出られます。

そしてエスカレーター。これがびっくりでした。

エスカレーターで下ります。

着地点が見えません。結構深そうです。今はずみで転んだら。。こわすぎる。

わあ綺麗。ホームだと思いきやまだ続く第2のエスカレーター。

2回目のスカレーター

結局ホームに到着するまで3分20秒もかかりました。

そしてホームが美しい!すぐにでも中世のお城に行けそうな雰囲気です。
ちなみに、世界で一番深い駅がキエフにあります。そのアルセナーリア駅(Arsenalna)は、ホームまで5分以上かかるらしいです。

プラットホームの壁には、駅名が順番に書かれているので、上りと下りどっち側に乗れば良いかすぐに分かります。

着きました。カフェVagabond Cafe & Vintage Corner 

ごく小さなカフェですが、雰囲気も良くて無料wifiもあります。ここを選んだ理由は、名前がVagabondっていう旅人や放浪人を表す名前だということと、あとお気に入りのトラベルブロガーの名前にもなっているから、というだけなのですが。

VagabrothersのYouTubeチャンネル

コーヒー(22フリヴニャ(約92円))だけ飲んで帰ろうと思った矢先、大振りの雨が。。しかも雷鳴ってるし。。

しばらく止みそうにないので、小雨になった所で、パーカのフードをかぶりお店を出ました。

インドで出会ったウクライナ人の友人に再会

夜には、ウクライナ人の友人オスタプに再会できました。私のホステルまで、同僚と一緒に自家用車で迎えに来てくれました。

オスタプとは2月にインドのホステルで会ったのですが、その時彼はレンタルしたオートバイでインドを旅していました。
驚いたのが、彼の英語!インドで会った時はたどたどしさが残っていたのに、見事に上達してる!たった4ヶ月で別人みたい。聞くと、旅で英語の必要性を痛感したらしく、帰国してから英語学校に通って勉強したという。すごい。
今はIT系の仕事をしているそうで、やっぱり英語が役立っているらしい。

温かいコーヒーを買ってでかけます。

オスタプ(右)と彼の同僚(左)と。後ろに見えるのはParkovy Pedestrian Bridge。
誰もいない橋。

普段は人がいるのにおかしいなあと言っていました。

Monument to Unknown Soldier 第二次世界大戦で亡くなった名前不明の兵隊の慰霊碑

公園に行くと、何かの音楽イベントで盛り上がっていました。

会場の外で楽しむ人たち

私達も、会場から漏れ出る音でしばらく楽しんでから帰りました。

それにしてもたった4ヶ月であんなに英語が上達するなんて。すごいなあ。私も頑張らないとなあ。刺激ありがとう。