[ボスニア・ヘルツェゴビナ]三つの民族、三つの宗教、三つの公用語、三人の大統領 [Bosnia and Herzegovina] 3 residents, 3 religion, 3 official languages, and 3 presidents

Bosnia and Herzegovina
交代で大統領って

フリーウォーキングツアーに参加してきました。国立劇場前で集合。参加者は15人位いました。

ガイドは、サラエボ生まれサラエボ育ちの女性。宗教は、ボスニアで大きな割合を占めるイスラム教徒とのことだけど、ヒジャブも被っておらず上着はタンクトップ。ムスリムっぽくないぞ?皆の疑問を察したかの様にすぐに、ボスニアのムスリムは規律が緩やかで服装も自由、お酒もタバコもたしなむと人もいると説明してくれました。

でも考えたら、キリスト教徒にも敬虔な信者もいればそうでない信者もいるわけで。仏教徒もしかり。ここでも自分のステレオタイプの考えが気持ちよく破壊されました。

あと、タバコといえば、喫煙率の高いボスニアでも今はいくらか分煙が進んでいるが、つい5年前に彼女が病院で出産した時には、出産する側では助産師さんがタバコを吸っていたらしいです。今ではさすがにないそうですが。でも確かに、カフェやレストランでも普通にタバコを吸っている人がいてびっくりしました。灰皿も当たり前の様に各テーブルに置かれているし。

テーブルの上に置かれた灰皿

ここで、
【ボスニア・ヘルツェゴビナの基本情報】
3つの民族:ボシュニャク人が48%、クロアチア人が14%、セルビア人が37% (Wikipediaより引用)。
3つの宗教:ボシュニャク人=イスラム教徒、クロアチア人=キリスト教徒(カトリック)、セルビア人=キリスト教徒(東方正教)
3つの公用語:ボスニア語、クロアチア語、セルビア語
3人の大統領:ボシュニャク人、クリアチア人、セルビア人からそれぞれ1人の代表が選ばれて、8ヶ月毎に交代で大統領としての業務を行うのだそうです。
失業率:40% (ガイド情報)

大統領が3人って!あそっかあ、仲良くお互い尊重しあって画期的だしグッドアイデア〜!と一瞬思ったのですが、いやいやいや、まさにこれがボスニアの過去と現在の複雑さを象徴しているのでした。

ということで、これを踏まえてツアー出発。

下の写真は、Liberation広場にあるMulticultural Manという彫刻。1997年にイタリアから寄贈されたもので、直訳すると「多文化的な人」となるのでしょうか。鳥が舞っていて幸せそうです。

Multicultural Man。後ろに見えるのは、セルビア正教の大聖堂。

面白いのが、イタリアから寄贈された当初はヌードはまずいんじゃないかと問題視され、パンツを履かされていたそうです。しかも赤。。ぷふふ。想像するとギャグにしか思えない姿ですが、当時の人はあくまで真剣に話し合ったのでしょうね。それもまた笑える。

次に行ったのがラテン橋。サラエボで一番古い橋で、第一次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件が起きた場所として知られています。

ラテン橋。ピンク色の建物はサラエボ事件の博物館となっています。

サラエボ事件とは、1914年6月28日、セルビア人のガヴリロ・プリンツィプ青年によって、オーストリア=ハンガリー王国の皇太子夫妻が暗殺された事件で、これがきっかけで世界中で戦争が起き、第一次世界大戦となったのです。

博物館にある大公フランツ・フェルディナントと妻ゾフィーの等身大の人形。

なぜセルビア人の犯人がオーストリア=ハンガリー王国の皇太子夫妻を暗殺したのか?

彼らはボスニアに住むセルビア人で、隣のセルビアが独立していた中、ボスニアがオーストリア=ハンガリー王国の支配下になったことに不満を持っていました。そして、軍事パレードのためにサラエボを訪問中だった皇太子夫妻の暗殺を計画したのでした。

犯人グループ7人の写真。一番左が夫妻を暗殺したガブリロ・プリンツィプ。
ドクロマークが暗殺現場。現在角の建物は博物館になっています。

皇太子夫妻の乗る車は、チュムリヤ橋(Cumurja)から→ラテン橋(Lateiner)方向へ向かっていました。犯人グループは、爆弾で暗殺を試みるも失敗。代わりに近くにいた市民が巻き込まれて負傷してしまいます。夫妻はそのまま市庁舎での歓迎会に参加、その後負傷した市民を見舞うために病院に向かう途中、犯人グループの一人プリンツィプによって至近距離で銃撃されたのです。暗殺現場角にある建物は、現在は博物館になっています。入場料2マルク(約130円)。

フランツ・フェルディナンド暗殺博物館。Museum of the Assassination of Franz Ferdinand。

博物館の外壁には当時の出来事を記した石碑があります。

暗殺に使われた銃
ガブリロ・プリンツィプの足跡のレプリカ

暗殺者プリンツィプの足跡は、当初は暗殺時に彼が立っていた場所に設置されていたそうですが、後に破壊され、現在ではそのレプリカは博物館に保存されています。
何故か館内には展示されておらず、説明文も無いまま入り口にひっそりと置かれていました。

博物館の入り口にひっそりと置かれた足跡のレプリカ。

サラエボ最古のモスク、Emperor’s Mosqueです。国民の約半数がイスラム教徒ですもんね。

Emperpr’s Mosque

次に訪れフラシスカン教会(Church of Saint Anthony of Padua)はカトリック教会です。

フランシスカン教会(Franciscan church)。カトリックの教会です。

フランシスカン教会の道向かいにある、Sarajevska Pivaraというビールの醸造所です。1994年のサラエボ包囲で電気や水道管が破壊された時には、ここから水が供給され貴重なライフラインとなったそうです。

ビールの醸造所Sarajevska Pivara

最後に訪れたのは、旧市街にあるMorica hanと呼ばれる商人宿。今でいうビジネスホテル的なものでしょうか。オスマン帝国時代に、商人が最大3日間無料で宿泊出来、食事も提供されたそうです。

旧市街地に入る前に、ガイドから、この辺りはスリが多いので持ち物は肌身離さない様に注意がありました。グループで行動していると大丈夫と思いがちですが、スリにとっては一人よりもグループで歩いている人達に方が紛れ込み易く狙われやすいとのこと。ふむふむ、なるほど。

ツアーはここで解散でした。

The Museum of Crimes Against Humanity and Genocide 1992–1995

直訳すると、「人道に反する犯罪と集団虐殺の博物館」でしょうか。

ここでは1992年ー1995年のボスニア紛争に関する写真や記録映像、当時の人々の生活、生存者のインタビュービデオなどがあります。1992年ってつい最近じゃないですか。いつもの様に朝起きてバスに乗って仕事に行き、友人とレストランでランチ、週末には映画館でデート。そして、次の日に突然銃弾が降ってくる。残っている映像がカラーで、今とさほど変わらない、朝の通勤など普通の光景で、人ごとじゃないというか、変に実感が沸いてきます。
入場料10マルク(約650円)。

SIMカードが安いよ!

SIMカードを購入しました!
m:telという携帯電話会社で、サラエボ大聖堂近くにお店がありました。

英語を話せるスタッフが対応してくれて、その場でSIMを差し替え設定までしてくれてすぐに繋がりました。料金は、4GB7日間有効で4マルク(約260円)と激安!今まで行った国の中でも一番安いんじゃないかと思います。これならボスニア滞在が延びても気楽に追加が出来ますね。

旅友との再会と新しい出会い

トルコで出会って、数日旅を共にしたアメリカ人旅人のウォーリーと、約1ヶ月半ぶりに再会しました!トルコで別れた後、私はイランへ彼はギリシャに向かったのですが、連絡を取るとちょうど彼もボスニアのモスタルにいて、今日サラエボで合流できたというわけです。

旧市街でランチをすることに。

デザートには、ガイドがオススメしていたバクラヴァを食べました。
クルミやナッツなどが入ったパイを蜂蜜のシロップに漬けたもので、長期保存出来そうな激甘さ。多分シナモンも入ってます。

バクラヴァというデザート

夜、ホステルのテラス出てみると、真剣な眼差しでパソコンに向かっている人が。話しかけると、ヨルダンからなんと自転車でずっと旅しているというのです。覗かせてくれた彼のパソコンには、綿密に計画した地図やステジュールが書かれていて、ボソボソっと控えめな声で説明してくれました。印象的だったのは、彼のフェイスブックには、道中出会った人について感受性豊かに記録していたことです。謙虚に見えるけど内に秘める情熱みたいのを感じました。カッコイイ人でした。

その後、イラン系アメリカ人とウォーリーも加わり、4名で話が盛り上がりました。

今日は、サラエボの歴史を垣間見て、あまりの衝撃で色々と考えさせられました。今頭がいっぱいになっています。