[ボスニア・ヘルツェゴビナ]モスタル:元陸軍兵士のクレイジーガイと行くツアー[Bosnia and Herzegovina]Mostar: Tour with crazy Bosnian guy.

Bosnia and Herzegovina

今日は、Hostel Miranのオーナーであるミランさんがガイドを務めるツアーに行ってきました。”Crazy Bosnian guy”とグーグル検索すると、ミランさんの笑顔の画像が真っ先に出てきます。ボスニアの元陸軍兵士でもあるボシュニャク(ボスニア人)の彼は、強くて優しい、一言で言えば皆に慕われている部活のコーチみたいな熱い男です。笑。

ツアーで行くのは次の5箇所。

  1. Yugoslavia Aircraft Hanger(ユーゴスラビア時代の秘密の格納庫)
  2. Blagaj Tekke(ブラガイ)
  3. Počitelj Village(ピチテリ村)
  4. Kravice waterfall(クラヴィツェの滝)
  5. Fortica Park(要塞)
  6. Abandoned building (砲弾跡が残る廃墟)

ツアー代金70マルク(約4500円)

ミランさんの運転で出発〜!

車内ではノリノリの曲が
1. Yugoslavia Aircraft Hanger(ユーゴスラビア時代の秘密の格納庫)

モスタル郊外のだだっ広い道で車を降りると、アーチ型の建物が現れました。

格納庫から道路を見た風景。滑走路としての機能もあったそうです。

ユーゴスラビアだった時代に作られた秘密の格納庫です。

ゴミが散乱する入り口

ヨーロッパでもない、かといってロシアでもないユーゴスラビアが、何かあった時の為にと秘密裏に建設し、航空機などを保管していたこの施設。物資なども保管していて、核シェルターとしての機能も備えていたそう。昨日の敵は今日の友。いや、今日の友は明日の敵。という疑心暗鬼があったのでしょうね。

ゴミや割れたガラス、がれきが散乱しています。スニーカー履いてきてよかった。

中に入っていきます。

中は真っ暗闇。スマホのライトで足元を照らします。

暗闇の中を歩く
数々の小部屋があります。
壁にある足跡。誰がどうやって。。

ここで、ミランさんの掛け声で、皆で一斉に叫んでみます。音の反響がすごいです。

エコーがすごい。

この廃墟具合を見るとちょっと怖いですが、ミランさんの説明によると、ユーゴスラビア時代は、同じ会社に10年以上勤務すると政府からアパートが支給されたり、1984年当時は150カ国以上の国にビザ無しで行けたりと、大統領のチトーは国民に好かれていたそうです。

2. Blagaj Tekke(ブラガイ)

この崖スレスレに建つ建物。モスクだそうです。

写真右に写っている様に、船で奥の洞窟へ行くことができます。(有料)

3. Počitelj Village(ピチテリ村)
石畳を上ります。

石畳の路地が迷路の様に広がっています。

左上には要塞、右下にはオスマン時代のモスクが見えます。
四角やアーチ型の窓
眼下に流れるネレトヴァ川 (Neretva)
4. Kravice waterfall(クラヴィツェの滝)

待ちに待ったスイムタイム!滝の水の音が気持ち良い。

少し冷たかったですが、入ってると慣れます。
岩を越えれば滝の下まで行けますが、観光客が足を滑らせて死亡したことがあるという話におののいたへなちょこスイマーの私は、ここでもやっぱり足が着く所で泳ぎました。

泳ぎの後は川岸にあるレストランでランチ。
5. Fortica Park(要塞)

最後に訪れたのはForticaという丘。モスタルの町が一望できるここで聞いたミランさんの話は、グッとくるものがありました。

はためくボスニア・ヘルツェゴビナの国旗
大砲

ボスニア紛争時には、ここからモスタルの町に向けて砲弾が放たれたそうです。

ここで、ボスニアの陸軍兵士としてミランさんが体験したボスニア紛争の話、そして案じている現在の状況を話をしてくれました。

昔のモスタルは、クロアチア人もボスニア人もご近所同士仲良く暮らしていたこと。しかし今では町が分断され、クロアチア人の子供はクロアチア側の学校へ、ボシュニャク人の子供はボスニア側の学校へ行くようになったこと。バスターミナルも二つ、消防署も二つ、学校も二つ。現在の憲法は紛争後の1995年に米国が英語で作ったものであること。現在のボスニア・ヘルツェゴビナは、3つの民族 3つの大統領69政党があり複雑なものになっていること。スタリモストの橋はセルビアじゃなくてクロアチアが破壊したこと。

ネレトヴァ川の東側と西側それぞれにバスステーションがあります。

分断されてしまった町。この日の夜、その象徴とも言える光景を目にすることになります。(それについては後述)

当時の状況がよく分かるとミランさんが教えてくれたYoutube映像、”East Mostar hell on earth”。残念ながら日本語字幕はありませんが、必見です。


5. Abandoned building (砲弾跡が残る廃墟)

最後にミランさんが私たちを連れて来たのは、激しい砲弾を受け廃墟となった建物でした。

あまりの砲弾跡に全員言葉を失いながら、恐る恐る中に入ります。

隣には綺麗なアパートが。

廃墟前の道路。周りは普通の住宅街です。

廃墟前の道路
クーラーの室外機とスクリーンが掛けられた窓

建物を出て改めて見上げてみると、ある部屋に気がつきました。窓にスクリーンが掛けられていて外にはクーラーの室外機があます。え、誰か住んでる?ミランさんにもよく分からないとのことでした。

Miran’s ツアーはこれで終わりです。
精力的に私たちを案内してくれたミランさんが最後に言っていたことが忘れられません。
今は平和に見えるモスタルだが、悲しいことに町はさらに分断に向かっている。私が小さかった頃の様に自分の子供(ボシュニャク)もクロアチア人の子供も仲良く同じ学校に行って欲しいが今では難しくなっている。。

おまけ:分断を見た気がしたワールド杯

この夜、W杯のゲームを見るためツアー仲間と町のレストランへ出掛けました。

クロアチア vs ロシア戦です。

試合はPK戦に持ち込まれました。

そしてクロアチアがシュートを決めた瞬間、私たちの周りのテーブルで歓声が湧きました。

クロアチア勝利の瞬間

今回の試合ではクロアチアを応援している人が多かった様です。私たちがいたのはボスニア側ですが、川向こうのクロアチア側から花火が上がりました。

クロアチア側から上がる花火

ちなみに、ボスニア側では花火は上がりませんでした。この時、小さなモスタルの町が川ひとつで分断されているのを見た気がしました。

あとでホス友の一人が、今平和になったボスニア・ヘルツェゴビナだけど、小さなきっかけでまた何か起きてもおかしくないと感じると言っていました。ゾッとしました。

何も起きないことを切に願います。今日って七夕だったんだ。今きがつきました。