[ポーランド]クラコフ:アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所 [Poland]Krakow: The Auschwitz-concentration camp.

Poland

ズィン ドブリー (Dzien dobry)!(ポーランド語でこんにちはの意)

ドイツで友人達との再会でエナジーチャージし、ポーランドにやってきました!それにしてもやっぱり13時間のバスは長かった。。

21:15にミュンヘンMunich Central Bus Stationを出て、翌日の朝10:15にクラコフKrakow MDAに着きました。 FlixBus 42.99ユーロ(約5360円)

クラコフでのホステルは、Blueberry Hostel Krakow 1泊56,95PLN(約1650円)朝食付き。

※現在営業していない様です。

ちなみに、ポーランドの通貨はズウォティで表記はPLNと書きます。

アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所へ

小雨が降っています。これくらいなら大丈夫よね。パーカのフードをかぶり、ババスステーションまで歩きます。

アウシュヴィッツは混むから早く行った方がいいよというホステルスタッフのアドバイス通り、朝7時にはKrakow MDAバスステーションに到着。

チケット売り場

アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所は、オフィチエンシム(Oswiecim)という街にあります。

Krakow MDAバスステーション→オフィチエンシム(Oswiecim)まで12PLN(約348円)。
すぐのバスに乗りたかったのですが、満席のためその次の7時25分発のバスになりました。

チケットに書いている通り、G7の乗り場でバスを待ちます。

指定の乗り場で待っていると、夏休みを利用して初めての一人旅をしている、みさおさんという日本女性と出会いました。彼女もアウシュヴィッツに行くというので一緒に行くことになりました。

バスに乗り1時間20分後の9時、オフィチエンシムOswiecimに到着。アウシュヴィッツ強制収容所の入り口には既に多くの人で列ができています。

既に行列が。

この列は、ガイド付きツアー(有料)のチケットを買うための列だとわかりました。実は、ガイドについてはネットで見たあるレビューのせいでつけるかどうか迷っていたのですが、やっぱりちゃんと知りたいと思いつけることに。ガイド付きツアー50PLN(約1450円)。

入場料自体は無料です。ただし、入場券を受け取る必要がある様です。

ガイド付きツアーの時刻表。ポーランド語や英語な以外の言語にも対応しています。

私達は10時の英語ガイドツアーを予約。日本語のガイドさんもいるらしいのですが、事前の予約が必要みたいです。スタートまで時間があるので、近くのカフェでホットチョコレートとパンで一服。

《ここで注意》入場前にセキュリティゲートで荷物チェックがあります。持ち込めるバッグのサイズが30x20x10センチ以内と決まっていて、それより大きい場合はクロークに預ける必要があります。大体A4サイズ位ですね。

規定内だと思っていた私のバッグは、持ち物でややパンパンになっていたせいか持ち込めないと言われてしまいました。仕方なくクロークで荷物を預け、また列に並び直していると間に合わないので、スタッフにお願いして割り込みさせてもらい、ギリギリセーフ。無事中で待つツアーグループに会えました。早めの行動が鍵です。

事前に、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館のサイトで基本ルールを確認しておくことをお勧めします。(英語)Basic Information 

ガイドさんから、写真は一部の場所を除きフラッシュ無しで撮ること、常に静かにすることなどの説明がありました。私達のグループは2〜30人位いたでしょうか。

ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)と書かれた門
多い時には20,000人が収容されたそうです。

同じ様なレンガ造りの建物が続きます。

死の壁と言われる場所

死の壁と言われるここでは、ナチスSSに抵抗した人たちが銃殺された場所だそうです。

建物の中には、収容者用の三段ベッドや長いベンチの様な所に穴を開けただけのトイレがありました。また、人間の髪の毛で作られたカーペット。山積みにされた何千もの靴。小さい靴も展示されていました。

収容所の周りには、有刺鉄線が2重に張り巡らされています。

HALT! (止まれ!)と書かれた看板。フェンスの外側には監視塔も。

有刺鉄線の向こう側には、収容所の所長であったルドルフ・ヘス(Rudolf Höss)が家族と一緒にくらしていた家があったそうです。

大虐殺が行われていたすぐ側で暮らしていたヘス一家。愕然とします。

ガス室。屋根に煙突が見えます。

ガス室。所長となったヘスは、ここでチクロンBの実験をしました。実験の結果、当初使っていた一酸化炭素よりも”効果的”とされ、以降ガス室にチクロンBが使用されることになったそうです。

シャワー室だと言われ入った部屋。天井のシャワーヘッドからは水が落ちることはありませんでした。

煙突からの煙は、ヘス家まで届いていたのだろうか。ヘス一家はその匂いを嗅いだのだろうか。

ここで一旦ガイドさんと別れ、無料シャトルバスで隣にある第二収容所ビルケナウへ向かいます。

アウシュヴィッツ⇄ビルケナウ間を走っている無料シャトルバス

ここで確認。一般的にアウシュヴィッツ強制収容所と言われている施設は、3つの収容所で構成されています。
アウシュヴィッツ第一強制収容所 Auschwitz I
アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウ Auschwitz II-Birkenau
アウシュヴィッツ第三強制収容所モノヴィッツ Auschwitz III-Monowitz
今回は、上の2箇所を訪問しました。
何故かモノヴィッツだけグーグル地図に記載がなかったのですが、なぜだろう。。下の地図のモノヴィッツの場所は、maps.me(地図アプリ)の情報を基に書き込んだものです。

3つの収容所。

3つのうちビルケナウは最大規模の収容所です。ヨーロッパ全土から、一番多い時で90,000人が収容されたそうです。

シャトルバスを降りたところに、これは麦なのかなあ、がふさふさと実っていました。
ここから中に入っていきます。

ガイドさんと再び合流し、入り口の門をくぐると目に入るのが、長く向こうまで続く線路。

広大な土地が広がります。特に大きな建物は見当たりません。

無数に見える煙突
列車に乗って、いや、詰め込まれて連れてこられました。

列車を降りると、すぐに一人一人選別されました。高齢者は労働力が無いとみなされ殺されると考えて、白髪を黒く染める人もいたそうです。

ガイドさんの説明によると、第二次世界対戦が終わりドイツが敗戦すると、ナチスは証拠隠滅のため、多くの建物を爆破したそうです。

ビルケナウの敷地の一角に、色んな言語で書かれた慰霊の碑がありました。

石碑にはこう書いてありました。
“For ever let this place be a cry of despair and a warning to humanity, where the Nazis murdered about one and a half million men, women, and children, mainly Jews from various countries of Europe. Auschwitz-Birkenau 1940 – 1945.”

「ナチスによって約150万人の男、女、子供達が殺された。主にヨーローッパ各国からのユダヤ人であった。この慰霊碑は、彼らの絶望の叫びをここに鎮め、人類へ警告するものとして設置される。」

やっぱり人間が一番怖い、と思ってしまいました。
でも、きっと「怖い」だけではいけないのだろうと感じます。知らないものは怖い。怖いものは見たくなくなる。見えないものは怖くなる。

ヒトラーは何か怖かったのだろうか。だとすればそれは何だったのだろう。