ドーブルィ デーニ!(ウクライナ語でこんにちはの意味)
いきなりですが、チェルノブイリってウクライナだったんですね。
チェルノブイリ=ソ連とインプットされていたので、すぐには結びつかず。よく考えると、原発事故当時のウクライナはまだソビエト連邦の一部だったんですよね。ということで、市内にある国立チェルノブイリ博物館に行ってきました。
国立チェルノブイリ博物館
博物館は、ホステルから徒歩10分程の場所にあります。
あのチェルノブイリの博物館だから大きくて人も多いのだろうと思っていたけれど、目立った看板などもなく、一瞬どこから入るのか戸惑うくらいひっそりと建っていました。
入場料は50フリヴニャ(約200円)。オーディオガイド(20フリヴニャ(約80円))は日本語も対応していました。オーディオガイドを借りる場合はデポジットとして100フリヴニャも合わせて払います。退館する時に返却してもらえます。クレジットカードは使えないので、現金必須です。
入口を入るとすぐ横に、福島第一原発事故の展示がありました。
階段を上った先に、常設の博物館があります。いよいよ入ります。
今から32年前の1986年4月26日午後1時23分、史上最悪と言われるチェルノブイリ原発事故は起こりました。
しかし、その事実が世界に報じられたのは、事故発生から3日経った4月29日だったそうです。
広島と長崎の原爆についての展示もありました。
国立の博物館という割にこじんまりした博物館で、オーディオガイドと展示番号が照合しづらい点もありましたが、チェルノブイリツアーに行く方は、予習のためにもオーディオガイドを借りて見ることをお勧めします。
チェルノブイリの現場を訪れる視察ツアーについて、ここならきっと情報があると思い受付カウンターで聞いてみましが、あまり英語が通じずツアー情報も得られず。
ホステルに帰り、ネットで見つけたツアーに申し込みました。明日にでも参加したかったのですが、明日のツアー料金149ドルが3日後だとなんと69ドルだったので、キエフの滞在を延長することにして、安い3日後のツアーに申し込みました。
ペチェールスカ大修道院(Kiev Pechersk Lavra)
午後からは、メトロに乗ってペチェールスカ大修道院(Kiev Pechersk Lavra)へ。Lavraとは洞窟という意味で、修道院内にあるそうです。
入場料は30フリヴニャ(約125円)。洞窟への入場は別料金だったので、入りませんでした。
大聖堂の中に入っていく女性は皆、頭にスカーフをかぶっていました。正教会ではこれがマナーだそうです。
ユダヤ教もイスラム教も正教会も、女性が髪を隠すのは同じなんですね。どれもユダヤ教が派生した宗教だからってことなんですかね。
ホロドモールの慰霊碑
大聖堂の後、何気なく行った公園で見たこの慰霊塔。ホロドモールの犠牲者を弔うものだそうです。
ホロドモールって。。?初めて聞いた。
ホロドモールとは、1932年から33年に起こされた人工的な大飢饉。人工的って、え、人が意図的に飢饉を起こしたってこと?なんで?何のために。。
ホロドモール(Holodomor)とは、レーニン政権下のソビエト連邦によるウクライナ独立を阻止するため、意図的に起こされた大飢饉だそうです。ウクライナ住民は強制的に大量の小麦をソビエト政府に納めさせられたため、多くが餓死したのです。犠牲者の数は600万〜700万人と言われていますが、ソ連が長い間事実を隠していたことなどからはっきりとした数は不明で、一説では1000万人を超すとも言われているそうです。町の至る所に息絶えた人達がそのまま転がっている悲惨で異常な状況で、飢えに苦しむ人々の中には死体に手をつけてしまうほど追い詰められてしまった人もいたそうです。
やせ細り途方にくれている様に見える少女。
そうだったのか。この間ウォーキングツアーで会った女性が話していたことが、今やっと理解できました。その女性はアメリカ在住ウクライナ人で、ある人に人肉を食べたことあるかと聞かれてすごく侮辱に感じたわ、という差別体験を話してくれていたのです。
今日初めて知ったウクライナで起きた大虐殺ジェノサイド。日本で聞いたことないなと思ったというのも、世界にひた隠しにされていた過去がある様です。
ホロコーストやポル・ポト派による虐殺やルワンダ大虐殺と並ぶ20世紀最大の悲劇と言われているそうです。