ドーブルィ デーニ!(ウクライナ語でこんにちはの意味)
チェルノブイリツアーに行ってきました。
ガイドさんからは、厳密には(観光)ツアーではなく「視察」なのだと説明がありました。いくつか注意点もあるのでこのあたりも書いていきます。
- チェルノブイリ原子力発電所事故とは
- ツアー会社と予約
- 事前確認フォームの提出
- 持って行くもの
- ツアー当日
チェルノブイリ原子力発電所事故とは
1986年4月26日1時23分、現ウクライナ(当時はソビエト連邦)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた事故。世界で最悪の原子力発電所事故の一つと言われています。
ツアー会社と予約
私が参加したツアー会社は、Chernobyl Exclusion Zone Tour。右上の言語で日本語ページに切り替えられます。
料金は、49ドル〜149ドルと幅があるので注意です。私は、思いついた翌日のツアーに参加したかったのですが、149ドルという高額にビビり、おとなしく3日後の69ドルのツアーに申し込みました。早めに計画して予約することをお勧めします。
事前確認フォームの提出
ウェブで申込をするとメールが届くので、そこにあるリンクから事前確認フォームに行き、氏名、生年月日、パスポート情報、国籍、電話番号などを記入し送信。
次に、メールにある”PAY”ボタンから料金の10%(今回は69ドルだったので6,9ドル)を支払います。残金はツアー当日に支払います。クレジットカードでの支払いもOKでした。
申し込み完了のメールが届きました。集合時間、場所、当日はパスポートを持参すること、長袖長ズボンを着用することなど、注意事項が書かれています。ここで希望者はランチを注文できます(15ドル)。また、放射線を測る線量計もレンタルできます。(10ドル)
持っていくもの
- ツアー料金(現金orクレジットカード)
- パスポート必須!入り口でのセキュリティーチェックがあるので、パスポートは絶対忘れないで!
- 長袖、長ズボン着用、足を覆う靴(スニーカー等)。草むらや、がれきが散乱している所を歩くため、肌が露出するサンダルは避けたほうが良いです。
ツアー
朝7時半、集合場所のツアー会社へはウーバーで向かいました。運転手さん、慣れていないのか、危うく違う通りで降ろされるところでしたが、なんとか無事到着。
ツアー料金はクレジットカードで支払いました(現金でもOK)。ここで出会った中国在住アメリカ人のパット。一緒に来る予定だった友人が来れなくなったから良かったら彼の分のランチあげるよ、と言ってくれました。そのお友達、直前になって放射線がやっぱり不安だと行くのをやめたそう。
約8人のグループで出発です。
一応チェルノブイリツアーと言っていますが、現在も立入禁止に指定されている区域なので、観光ツアーではなく、厳密に言うと「視察」ということになっているそうです。そのため、資格を持ったガイドと一緒に行動することが義務付けられています。
ガイドさんとは現地で待ち合わせだそうです。
バンに乗り込み、いよいよチェルノブイリへ向かいます。
約2時間でチェルノブイリへ到着。キエフから意外に近いことに少し驚きました。
ここで待っていたガイドさんと合流します。パスポートのチェックを終え、別のバスに乗り換えます。
ガイドさんから、これから立ち入り禁止区域に入ること、バスの窓は絶対開けないこと、安全が確認されている所ではバスを降りて見学するが、滞在時間が5分とか10分と決まっているので必ず指示に従うこと、物に触れないこと、といくつかの注意がありました。
なんか緊張してきました。
驚いたのは、この禁止区域に人が住んでいることです。多くは事故処理に携わっている発電所関係者で、今日のガイドさんもガイドの仕事の為に週1の割合で宿泊しているそうです。
居住者の為に、キエフから週一で食料品や日用品を売るトラックが来るそうで、キエフからの定期列車も走っていて駅もあるそうです。
これ誰かわかりますか。そう、ソビエトの革命家レーニンです。
ソビエトからの独立後、全て残らず破壊されたはずのレーニン像ですがなぜかこの像だけ今も残っています。
その理由は、チェルノブイリ原発事故で放射線に侵されてしまったため、破壊することも持ち出すことも出来ず、図らずもウクライナ国内に残る唯一のレーニン像となったのだそうです。
レーニン像の近くに人懐っこいワンちゃんがいました。
バスを走らせRed forest (赤い森)という一帯に入リました。事故当時、放射線で汚染された風によって森が赤く染まってしまったそうです。
プリピャチ(Pripyat)という街に来ました。1970年、チェルノブイリで働く労働者や科学者が住む場所として開発され、当時としては新興的な街で、最新の建物や洒落たレストランなどもあり、発電所で働く人々は高給取りで、チェルノブイリの人々の憧れの街だったのだそうです。
上の写真の水の自販機だそうです。ウクライナの人達にとっては、昔懐かしい物だそうです。
ガイドさんに言われるまま、グループの一人が、持っていた線量計を水たまりに近づけると、線量計の針が大きく振れました。放射線物質は水と動く性質があるため、こういった水たまりには今もまだ高い放射物質が残っているのだそうです。
音楽学校だったという建物。壁には斬新デザインが施されていて、当時のきらびやかな様子が想像できます。
天井から下がる陳列棚の案内板。カートも残されていました。
この遊園地は、原発事故の5日後にオープンする予定だったそうです。しかし事故のため一度も使われることなくそのまま廃墟となってしまいました。現実感が伴わず不思議な光景です。
犬かと思ったらキツネが!警戒しながらもエサ欲しさに近づいてきました。野良キツネ。
爆発事故現場の発電所に来ました。1986年4月26日夜中の1時24分、爆発は動作確認の試運転中に起きました。爆発の規模は広島原爆の500倍とも言われているそうです。現在は放射線を閉じ込めるためドーム型の建物で覆われています。
事故直後、放射線に汚染された雨が風に乗ってイタリアやアイルランドなどヨーローッパ全土に降ったそうです。
凄かったのがこの巨大レーダー。さっきの司令センターとともに、秘密軍事基地の一部として、冷戦時代、飛来物(アメリカの飛行機とか)などの監視や情報収集がここでされていたそうですが、気づかれないように当時の地図ではサマーキャンプと表示されていたそうです。
鉄塔の大きさは、幅180メートル高さ150メートル!上写真の左下にいる、小さな人間が見えますか。こんなにも無機質でこんなにも巨大な人工物は見たことがありません。人間の執念を感じます。背筋が凍る様な恐怖を覚える一方で、圧倒的な存在感になんとも言い難い、感動にも似た感覚を覚えました。
小さな博物館もありました。
この後、レストランでランチを取りました。15ドルの割に簡単なランチでしたがお腹が空いていたのでランチを譲ってくれたパットに感謝。お礼にアイスクリームをおごりました。
最後に、線量を測るゲートを通りツアーは終了です。
チェルノブイリ原発事故。住民に知らされたのはその翌日。一時的な避難だから荷物は三日分で良いと言われていたそうです。しかし二度と戻ることはなく現在に至ります。
明日は、ウクライナとポーランドの国境にある街リヴィヴ(Lviv)まで列車移動します。
初日にバスで出会ったイゴールの住むオデッサ行きも考えたのですが、ウクライナの後、ポーランドのワルシャワか、あるいはベラルーシに行こうと思っているので、反対方向のオデッサには行かず、北上することにしました。リヴィヴは人気の街らしいので、楽しみで