[イラン]で思ったことまとめ [Iran]Random thoughts of Iran

イランでの印象や思ったこと、覚えておきたいことを、まとめておきたいと思います。

スーパーフレンドリー!歩いていると、”ハロー”とか”ウェルカム トゥ イラン!””どこから来たの”と同じ会話を何度交わしたか分かりません。笑。外国人に興味がある様で、イランをどう思う?とよく聞かれました。ある意味閉ざされた環境の中で、興味深々になるのでしょうか。いずれにしても、イランではすぐ友達ができます!

バザール(市場)の道で会ったイラン人。英語を勉強中と言っていました。

お・も・て・な・し

イランはおもてなしの国です。楽器店では、オーナーが楽器を演奏をして見せてくれたり、ケーキ屋さんでは、ケーキ買ったのにお金を受け取らなかったり、会ったばかりなのに別荘に招待してくれたり、ラマダンで断食中なのに沢山のご馳走を用意してくれたり。下心のない、純粋で暖かい優しさがありました。

ちなみに、ケーキを奢ってくれたケーキ屋さんの名前はنان و شیرینی تهران شعبه بهارستان 
場所はこちら。地下鉄Baharestan駅の近くです。
ショートケーキなどおなじみのケーキから、イランの伝統菓子も豊富に揃っています。1個まるごと味見もさせてくれるという太っ腹。

店長が英語で親切に説明してくれます。

服装の制限

外国人旅行者でも、女性はヘッドスカーフで髪を隠さければいけないのですが、一番キツかったのは、気温35℃の中(6月現在)、長袖長ズボン(あるいはロングスカート)を着用しないといけないことでした。
男性は、半袖のTシャツを着ている人もいますが、ズボンは長ズボン。ある日、ホステル仲間のオランダ人(男)が、暑いから半ズボンを履きたいけど大丈夫か?と何人かのイラン人に訊ねました。20代前半の若いホステルスタッフは、ノープロブレム、という返答でしたが、何人かのイラン人男性は、ダメってことはないけど変な目で見られると思うから勧められない、という返答でした。実際に半ズボンで出掛けたところ、特に変な目でみられることもなく、問題ありませんでした。

イラン人友人の話:彼女がまだ学生だった頃、なぜ髪を隠さなければならないのか?と先生に問いただしたそうです。先生は、「それはあなたの髪が美しいからよ。」と言ったそう。その夜、彼女はお父さんにバリカンで髪を剃ってもらいました。翌日、彼女の坊主姿を見た先生は怒り心頭。学校に呼び出されたお父さんは、シラミがいたから剃ったのだと説明したそうです。
全剃りした彼女もあっぱれですが、嘘をついて彼女の考えを尊重したお父さんもすごいですよね。

宗教

イラン=皆イスラム教徒、だと思っていました。でも実際はそうでもなかったです。
イランは、政教一致の体制をとっています。つまり政治と宗教が一緒。
なので、イスラム教徒だからスカーフを被る、断食をする、ということではなく、国自体がイスラム教に則っているので、強制的にスカーフを被る、ラマダン中レストランは閉まっている(日没後は開いています)、だけなのです。もちろんイスラム教徒も大勢います。首都テヘランの様な都会と地方でもは差がある様ですが、どれだけ宗教の教えに従って生活しているかの度合いは、人によって違う様です。

そもそも、現在の様になったのはここ40年位と最近のことだというので驚きました。40年前のイラン革命以前は自由で、当時の画像などを見ると、スカーフを被っている人いない人様々です。しかし現在では、国営テレビや映画も中でも女性は全てスカーフを被っています。

宗教警察

イランには宗教警察がいます。国民が、きちんとイスラムの教えに則って生活しているかを監視しているのです。

ある日、携帯の地図アプリを見ながら歩いていた時のことです。パトカーが近づいてきて、中の人が私に向かって何か言っています。迷子だと思われてるのだと思い、地図あるので大丈夫でーす!とスマホを持った手を上げて見せ、また歩き始めました。するとまた近づいてきて何か言っています。よく見ると、手振り身振りでスカーフをかぶりなさい、と言っているのです。知らないうちに、スカーフが肩に落ちて髪の毛がさらされていた様です。

あと、これは宗教警察ではないのですが、ヤズドのモスク近くで、いきなり50代位の男性に、コートのボタンを閉める様に注意されたことがありました。見ず知らずの人にいい歳した大人が服装を注意されるという、なんともバツが悪かったです。先生に注意された中学生の気分でした。笑。

ちなみに、現地の女性がスカーフをしていないと、ヒジャブジェイル(現地の若い子はヒジャブ刑務所と呼んでいる)に連れて行かれるそうです。たとえ30過ぎたいい大人でも、未婚の場合は親が迎えに来るとか。

治安

イランというと、大丈夫?と聞かれますが、全然大丈夫でした!あくまで、わずか2週間の滞在での個人的な印象ですが、肌感覚としては、ローマやバルセロナの様な観光地よりも、全然安全だと感じました。
まだそこまで観光地化されていない為に人がガツガツしていない、というのもあるのでしょう。危険な場所もあるのかも知れませんが、通常の観光スポットや街は女性一人で歩いていても問題ありませんでした。もちろん夜は誰かと一緒にいた方が良いと思います。

現金

アメリカを始めとする欧米諸国からの制裁の為、VISAやMasterなどの欧米系クレジットカードは一切使用できません。私は、2週間分として700米ドルを持って行きましたが、結果思ったより使わず結構残りました。ご馳走になったり友人宅に泊まったりもしたので。
ちなみに、ネットとかで出てくるレートと実際のレートでは全く違うので、現地の人にその時の相場を聞いてから両替した方が良いと思います。

VPN

ネット環境は日本と変わりませんが、そのままだと、FacebookやGoogle、LINEなどSNSやWikipediaも繋がりません。政府が制限しているのです。(何故かInstagramは使えます。)
そこでVPNが大活躍。VPNとは、仮想的に、例えば日本にいる環境でネット接続ができるというものです。私は、予め2つ(有料のPIA VPNと無料のVPN Cat)のアプリをダウンロードしていきましたが、結局どちらのVPNも使えなかったので、イラン人から教えてもらったVPNを使っていました。
政府とのいたちごっこで、同じVPNでも昨日まで使えていたのに今日は使えない、といった状況はよくあることだそうです。その結果、イラン人のスマホにはVPNのアプリがいくつも入っています。イランあるあるです。笑。

ブラックマーケット?

お酒、トランプ(アメリカファーストのおっちゃんじゃなくてカードの方)、欧米の映画や番組などは政府によって禁止されていますが、大体は手に入る様です。

ざっくり知っておきたいイラン革命のビフォーアアフター

今からちょうど40年前の1978年、イラン革命が始まりました。当時の政権パフラヴィー朝は、欧米化を目指していて、アメリカとはがっつり同盟国だったのです。今では想像つきませんが。しかし、一向に国民の生活は良くならず、そんな中、ホメイニ師によって、イスラム教の信仰に立ち戻ろうという運動が始まり、結果、翌年1979年ホメイニ師が政権を握り、現在の政教一致の体制が出来たのだそうです。
1979年11月には、アメリカ大使館人質事件が起き、それが決定的打撃となり、現在の緊張状態が始まって今に至るのです。
人質事件は、ベン・アフレック主演の映画「アルゴ」で描かれているのでオススメです。

簡単に言えば、革命前は皇帝政治で、革命後はイスラム政治になったのですね。
革命前は、ミニスカートを履いている女性もいたというのだから驚きですよね。

イランの今と未来

今も未来も気になります。
行ってみたら、ニュースなどマスメディアから受けるイメージとは違うイランがありました。やはりメディアの情報はごく一片なのだ、と実感しました。
例えば、イラン人はアメリカ人が嫌いと思っている人もいると思いますが、何人かに聞くと「私はアメリカ人好きよ」と言っていました。政府と個人は違う、ということを自身の経験からよく分かっているのかも知れないなと思いました。

政府へ抗議するため、毎週水曜日に白いヘッドスカーフを被るという運動が起きています。特に若い女性を中心にSNSなどで広がっているそうですが、逮捕者も出ているそうです。

ウーバーと同じ配車アプリもあるし、ピザ、ハンバーガーのデリバリーもあります。

一見、安全平和に見えるイランですが、政府の動きによってどうなるか分からないという不確実さはある様に感じます。どうか、平穏の日が来ますように。

おまけ

イランの紙幣には、イラン革命後に最高指導者になったホメイニさんが印刷されています。