Labasラーバス!(リトアニア語でこんにちはの意味)
今日は、列車に乗ってリトアニア第2の都市カウナス(Kaunas)に行ってきます。
ホステルからヴィリニュス駅までは徒歩2,3分なので便利です。
カウナスまでのチケットは5,6ユーロ(約670円)でした。ついでに帰りの分も買ったのですが、なぜか復路の料金は1ユーロ高い6,6ユーロでした。謎。
出発の11時15分まで時間があるので、駅のすぐ目の前にあるバスステーションに、明日行くクライペダまでのチケットを買いに行くことにしました。
窓口もありましたが、券売機を見つけたので試してみることに。
表示されている時刻表から選びます。英語の表示もあるので分かりやすい。私は12:40発のeurolineというバス会社のチケットを購入しました。19ユーロ(約2300円)。
明日のチケットも買えたし一安心です。
それでは今日の目的地カウナスまでの列車に乗り込みます。
駅でコーヒー(1ユーロ)とアップルパイ(0,4ユーロ)を買いました。安いです。
列車の中で、連絡しようしようと思っていたリトアニア人のアンタナスに連絡してみました。
彼と会ったのは、4ヶ月以上前の4月に訪れたイスラエルのエルサレムで乗ったバスの中でした。
ヨルダンからの入国審査でひょうんなことから拘束?(された気分)され、質問攻めに合いやっと入国出来て乗った市内へ向かうバス。怒りと悔しさと惨めさで疲れでもうそうでもいいやという気分の中(多分目も鼻も赤くて泣いたのがバレバレだっと思う。)、未知の国イスラエルでまだ心細く不安なところに隣の席に座ったのがアンタナスで、優しく声を掛けてくれたのです。シャイそうに見えたけれど天使だった。自分も初めてイスラエルに来たこと。一人旅だが途中で友人と合流する予定などを話してくれました。そして自分の携帯を使ってホステルまでの道のりを調べてくれたのです。私が今世界一周の旅をしていてリトアニアにも行く予定だと伝えると、名刺の裏に電話番号とメールアドレスを書いて渡してくれたのでした。
今休暇でお姉さんのいるベルギーにいるということで残念ながら会えませんでしたが、何かあれば連絡してとか、カウナスの杉原千畝記念館に行くんだと話すと、そんな所があるなんて知らなかったけど僕の行きたい所リストにも加えとくよと、やっぱり天使ぶりにじみ出ていました。あーなんかイスラエルのこと思い出したら涙が出てくる。もう一度会いたかったなあ。
カウナスには1時間10分程で到着しました。近いですね。
目的地の杉原千畝記念館まで歩きます。
公園の様な所を通って、坂道を登り、なんか住宅街にやってきました。
記念館なんてあるのだろうかと少し不安になりましたが、ありました。
思わず通り過ぎてしまいそうな普通の一軒家といった感じです。(実際通り過ぎた。笑)
入場料は4ユーロ(約480円)。日本語の話せるスタッフが親切に案内してくれました。私以外他には誰もいない様です。
杉原千畝(ちうね)さんとは、日本の外交官で、第二次世界大戦が始まる頃にリトアニアで領事をしていた人です。
第二次世界大戦でナチスによるユダヤ人迫害が始まると、隣のポーランドから多くのユダヤ人が難民としてリトアニアに流れてきていました。そしてリトアニアでもナチスから追われた彼等に残された唯一の逃げ道は、シベリア鉄道でソ連を横断し日本に行き、日本から第三国へ脱出する、という方法でした。
でもそのためには日本の通過ビザが絶対的に必要です。
杉原千畝は領事としてユダヤ人に通過ビザを発行出来る様に日本本国に許可を願いますが、当時ドイツと同盟を結ぼうとしていた日本からは許可が下りませんでした。
しかし杉原千畝は命より大事なものは無いと、独断でビザを発行することを決断したのです。
結果、2千通ものビザを発行し6千人以上のユダヤ人を救ったとされ、「命のビザ」と言われました。
館内では、杉原千畝の活動がまとめられた動画が日本語でも見られます。
私が去る頃には、日本人の人達が入ってきました。
杉原千畝、こんな遠い国にこんな日本人がいたなんて。胸が熱くなりました。
ここから歩いて、街の聖ミカエル教会まで行ってみます。
途中で見たモスク。
モスクの側にテントがあり、中に人がいてお祈りをしていました。
よく見るとて、テントには窓の模様が施されていて、なるほど簡易テント版のモスクになっている様です。
モスクの修復工事中の間もこうやってお祈りを続けているんですね。
聖ミカエル教会に着きました。カウナスでの観光スポットなはずなのに、人はまばら。
教会前の広場に面したカフェに入ると、なんとどんぶりがあるではありませんか!日本食が恋しくなっていた私は迷わず注文。味もなかなか。カプチーノと合わせて8ユーロ(約960円)。量はあと2杯位軽くイケる位でしたが節約の為我慢。
トイレも済ませ(綺麗そうな所で入っておくのが原則です)、また駅まで歩いてヴィリニュスに戻りました。